ハワイ出身の元力士・高見山さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
大相撲力士になったきっかけは?
力士時代の活躍は?
結婚歴や妻、子供は?
今回は元大関の高見山さんをリサーチしてみました。
高見山の学歴・生い立ち・経歴
名前 高見山
生年月日 1944年6月16日
出身 アメリカ合衆国・ハワイ
身長 192cm
血液型 AB型
所属 高砂部屋
高校・・ボールドウィン高校
大学・・大学には進学していません
出生名はジェシー・ジェームス・ワイラニ・クハウルア(Jesse James Wailani Kuhaulua)、ハワイ・マウイ島ワイルクで生まれました。
生まれた時は4900グラム。
1980年に日本国籍を取得し、本名は渡辺大五郎になっています。
父親はポルトガル系、母親はハワイ人、妹が3人、弟が2人いる6人兄弟の長男、牧場にで働いてた父親は13歳の時に他界。
小学3年生の通学途中に車にぶつかり、6メートルもはね飛ばされて、両脚を骨折して4ヶ月入院、事故の影響であまり速くは走れなくなったといいます。
再び小学校に通えたのは4年生からで勉強についていけなくなり、高見山さんが住んでいた町では、小学校が5年、中学校が3年、高校が4年間で中学1年に上がる時に、先生に『あなたはもう年、5年生をやりなさい』と言われ、両親に相談もせず『オッケー』と言ってしまい、家に帰ってからすごく怒られたそうです。
結局5年生を留年し、中学に上がりました。
中学では陸上部に入り、砲丸投げと円盤投げをやっていました。
ボールドウィン高校に進学後は、アメリカンフットボールに熱中。
高校の時は身長188cm、体重130kgで、ニックネームは『ビッグダディー』。
コーラス部にも入っていて、テナー担当でした。
高校卒業後は、働きながら州兵になろうとしていました。
高見山が大相撲力士になったきっかけは?
高見山さんが相撲の道に進むきっかけになったのは高校の時やっていたアメリカンフットボールでした。
アメフトを勧めてくれたのは、日系のラリー・シシド監督で、監督は高見山さんの半身がやや弱いことに気付き、日系人の間で人気のあった相撲をを練習の一環として取り入れ、地元のアマチュア相撲クラブにも参加していました。
そのこときっかけで、高見山さんの体格を知った師匠の高砂親方(元前田山)に、5年間衣食住を保障するとスカウトされ入門。
19歳の時で、初の外国人力士でした。
高見山の力士時代の活躍
1964年に入門し新弟子時代は、日本の気候と食事に苦労しました。
常夏のハワイ育ちのため日本の冬は苦手で、初場所前に熱を出しながら、無理して出場したこともあったといいまます。
食事は最初の頃は特別に洋食が出されていましたが、次第に特別扱いはなくなり、ちゃんこの味に馴染めず、初めは少しだけ汁をすくって食べるのが精いっぱいで、中でも白身の魚が大嫌いでした。
結局、ちゃんこの慣れるまでには1年間かかったといい、ケチャップをかけることで食べられるようになったそうです。
初めての外国人力士だったことから、当初は力士としてより『外国人』として注目を集めていました。
1964年3月場所で初土俵を踏み、3年後の1967年3月場所で十両に昇進、初の外国出身外国籍の関取となり、翌年に1968年1月場所で新入幕を果たして史上初の外国出身外国籍の幕内力士となりました。
1969年1月場所で小結に昇進しましたが、その後は小結と平幕の往復が続き、1972年7月場所では13勝2敗の好成績で史上初の外国出身力士による幕内最高優勝を果たしました。
表彰式では当時の米国大統領リチャード・ニクソンの祝電が読み上げられました。
翌場所には外国出身で初の関脇に昇進、大関を期待され、1974年7月場所には関脇で11勝の好成績を残しましたが、翌場所はは負け越すなど成績が安定せず、大関昇進は果たせませんでした。
1983年11月場所にケガのために途中休場、左ヒジの変形関節症と捻挫後遺症で、1984年1月場所も途中休場し、十両に陥落。
1984年5月場所、39歳で引退しました。
高見山 引退後
引退後は年寄・東関を襲名し、後に審判委員を務めました。
高砂部屋の部屋付き親方となり、自ら小錦をスカウト。、
1986年2月に番付外の2人の内弟子を連れて高砂部屋から分家独立して東関部屋を墨田区東駒形に創設。
自分の弟子でもある曙を横綱まで育て、大相撲の国際化にも大きく貢献。
日本人力士では高見盛の師匠としても知られました。
高見山 CMで人気
高見山さんは独特の長いもみあげなど特徴ある容貌も人気で、大同薬品工業 栄養ドリンク、松下電器産業 携帯型テレビなどg現役時代に10本以上のCMに出演、その人気からCM横綱と呼ばれるほどでした。
引退後に複数のCMに出演していました。
高見山の結婚歴や妻は?
高見山さんが結婚したのは1974年、30歳の時でした。
妻は渡辺加寿江さん、1948年生まれで年齢は4歳年下。
結婚後に帰化した際には、妻の渡辺姓を名乗りました。
高見山に子供はいる?
高見山さんの子供は息子がいます。
息子の弓太郎は1974年6月に誕生。
子供の頃はわんぱく相撲大会に出場するなど力士を志していたが断念し、中学校、高校はアメリカンスクール・イン・ジャパンでアメフト部、陸上部とレスリング部に所属。
15歳でアメリカ合衆国に留学し、ボストンカレッジの経営学部を卒業。
スポーツマネジメント会社などを経て2003年にヤンキースの職員となり、2007年にはヤンキースに所属して井川慶さんの専任通訳を務めていました。
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