角川博の結婚歴や妻、子供は?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち、代表曲は許してください

紅白出場歴もある演歌歌手の角川博さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

角川博さんが歌手になったきっかけは?

結婚歴や妻、子供は?

今回は演歌歌手の角川博さんをリサーチしてみました。

角川博の学歴・生い立ち・経歴

名前   角川博
生年月日 1953年12月25日
出身   広島県広島市
身長   166cm
血液型  A型
所属   角川事務所株式会社

 

角川博の学歴

高校・・広陵高校

大学・・大学には進学していません

広島県広島市南区出身、両親は朝日新聞の販売店を経営していました。

兄弟はなく、一人っ子。

祖父母は戦前に広島からブラジルに移民し、コーヒー農園で働き、父親は広島に戻り母親と結婚。

母親は13歳の時に広島で原爆が落ちてくるのを見たといいます。

小学生から新聞配達や集金のアルバイトをして高校まで続け、学校を休んでも新聞配達はしていたそうです。

小学生時代から野球少年で、中学時代は野球部に所属し、リリーフ投手や三塁手として活躍。

高校は野球の名門校・広陵高校に進学。

広島県広島市安佐南区にある男女共学の私立高校で、偏差値は46~55。

高校では硬式野球部に入部しましたが、部員数が100人以上いて選手層も厚かったことから3日で辞め、軟式野球部に移りました。

高校卒業後は、ボウリング場や洋品店で働きました。

角川博が歌手になったきっかけは?

角川博さんは高校卒業後、何をしたいかわからなかったことと、いとこがクラブ歌手だったことがきっかけで、広島の歓楽街流川や福岡博多のクラブで歌い始めました。

中州で歌っていたところスカウトされ芸映に所属し上京しました。

角川博の代表曲は「許してください」

1976年4月、『涙ぐらし』で演歌歌手デビュー。

22歳の時でした。

『涙ぐらし』はいきなりヒットし、同年に第18回日本レコード大賞新人賞、第9回日本有線大賞新人賞などの新人賞をを総なめにし、人気歌手の仲間入りをしました。

翌年の1977年1月に発売した3枚目のシングル「許してください」が大ヒットし、1978年に第29回紅白歌合戦に初出場。

NHK紅白歌合戦には1986年までで3回出場しています。

美空ひばりさん、三波春夫さん、淡谷のり子さん、森進一さん、五木ひろしさん、前川清さん、小林旭さんなどのものまねでも才能を発揮し、ものまね番組やバラエティー番組でも活躍。

自宅の家電製品は当時のものまね番組の賞品ばかりでだったといいます。

角川博の結婚歴や妻は?

角川博さんの結婚歴は2回、離婚歴は1回です。

最初の結婚は1980年6月、26歳の時でした。

結婚相手は女優の津山登志子さん。

津山登志子さんは1954年1月25日生まれで1歳年下。

少女雑誌のモデルを経て、16歳で女優デビューし、ドラマ中心に活躍。

身長が153cmと小柄だったことから『トランジスタ女優』と称されました。

結婚後は芸能活動を一時休止していましたが、9年後の1989年にNHK大河ドラマ『春日局』で芸能女優復帰。

1996年、結婚16年目に離婚しました。

角川博の再婚した妻は?

角川博さんは1999年、45歳の時に再婚。

妻は演歌歌手の沢田綾さん。

1975年3月12日生まれで21歳年下、結婚時は24歳でした。、

沢田綾さんは結婚後も歌手活動を続け、2003年には「あいやの女」をリリースしていますが、その後は活動はしてないよいうで、ヒット曲もないようです。

角川博の子供は?

角川博さんの子供は娘が3人。

1980年7月に誕生した娘では前妻の津山登志子さんとの子供で、離婚後は津山登志子さんが育てました。

娘は鈴木みらいの名前でシンガーソングライターとして活動していましたが2006年以降は活動はしていなしようです。

現在の妻の沢田綾とは、2000年12月に唯さん、2003年6月に花さんが誕生しています。

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