赤井英和さんは大阪府出身の俳優で元プロボクサー。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
ボクサー時代の戦績は?
俳優になったきっかけは?
結婚や妻との馴れ初めは?
子供は何人?
今回は俳優の赤井英和さんについてリサーチしてみました。
目次
赤井英和の学歴・生い立ち・経歴
名前 赤井英和
生年月日 1959年8月17日
出身 大阪府
身長 178cm
所属 プランニングメイ
小学校・大阪市立金塚小学校
中学校・大阪市立今宮中学校
高校・浪速高校
大学・近畿大学
大阪府大阪市出身。
代表的な下町の西成区で育ち、実家は漬物店を経営。
9歳上の姉と6歳上の兄がいる3人兄弟の末っ子。
小学校は大阪市立金塚小学校、中学校は大阪市立今宮中学校を卒業。
小学生の時に柔道を始め、中学では柔道部に入部。
『空手バカ一代』の影響で空手道場にも通いました。
高校は浪速高校を卒業。
浪速高校は大阪市住吉区住吉区山之内にある男女共学の私立高校で、現在の偏差値は50~66。
中学卒業したら就職するつもりでしたが、6歳年上の兄に、
『なんや、浪高も行かれへんのか』
と言われカチンときて勉強し浪速高校に合格。
高校ではボクシング部に入部。
高校1年生の時には授業にもボクシングにも身が入らず留年が決定。
『かっこ悪い』と高校を退学しようとしましたが、担任の先生に諭され退学は思いとどまりました。
『社会のレールをはみ出したかもと思うと、今も先生に頭が上がりません』
引用 http://www.teinenjidai.com/
ボクシングも本格的に始め、高校2年生の時には国体に出場。
高校3年生の時には4月にパキスタンで行われたアジア・ジュニア選手権で優勝。
8月にはインターハイで優勝。
大学は近畿大学に進学。
1980年のモスクワオリンピック候補に選ばれましたが、日本はボイコット。
アマチュア時代の戦績は56戦 44勝 22KO・12敗でした。
赤井英和のボクサー時代の戦績
1980年4月にプロデビュー。
『ボクシングの魅力はKOや。連続KOの記録をつくれ』
ジムの会長に世界への挑戦権を獲るには、勝ち続けるしかないと言われKOで勝ち続け、プロ4戦目の全日本新人王決定戦で3RKO勝ちしジュニアウェルター級全日本新人王を獲得。
この頃から新聞で『浪速のロッキー』と書かれるようになったといいます。
デビューから12試合連続KO勝利という当時の日本記録を達成。
1983年7月7日、WBC世界スーパーライト級タイトルマッチで、アメリカのブルース・カリーに挑戦しましたが7ラウンドにTKOで敗北。
1985年2月5日、2度目の世界タイトルを目指そうとした前哨戦で大和田正春さんとの試合にいどみましたが、7ラウンドでのKO負けの後、強打を打たれすぎたため意識不明に陥りました。
急性硬膜下血腫、脳挫傷と診断され、開頭手術を受け、術後生存率50%と極めて重篤な状態でしたが無事回復。
回復後はボクサー復帰も視野に入れていましたが、医師からボクサーを引退するように勧告を受け、現役を引退しました。
当時25歳でした。
プロでの戦績は21戦 19勝 16KO 2敗でした。
赤井英和が俳優になったきっかけは?
赤井英和さんはプロボクサー引退後、母校の近畿大学のボクシング部コーチなど後継者育成を行っていました。
『練習を見る1時間半は一生懸命になってましたけれど、残りの時間は何もすることがない。酒ばっかり飲んでいる活気のない時期やったですね』
脱却のきっかけは高校の先輩でもある笑福亭鶴瓶さんの、
『お前の人生おもろいから本書けへんか』
の一言だったといいます。
自伝『浪速のロッキーのどついたるねん』を執筆し1987年に出版。
その自伝がデビュー前の阪本順治監督の目に留まり、赤井英和さん自身の主演で映画化され、1989年11月公開の映画『どついたるねん』で映画初主演しました。
初出演ではなく映画には前年の1988年7月公開の映画『またまたあぶない刑事』に田山・浪速のロッキー役でゲスト出演しています。
映画『どついたるねん』で
第35回キネマ旬報賞・新人男優賞
第44回毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞
第14回報知映画賞・新人賞
などの多くの新人賞を受賞。
1994年公開の映画『119』では、
第18回日本アカデミー賞・優秀主演男優賞
を受賞しました。
赤井英和 ドラマでブレイク
1993年のTBS系ドラマ『高校教師』の保健体育・新庄徹役で注目され、翌年の1994年7月から放送されたTBS系ドラマ『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』で連続ドラマ初主演。
同ドラマで息子をイジメで失った父親の無念と復讐への葛藤を迫真の演技で魅せ、最高視聴率28.9%を獲得。
1995年の4月から放送されたTBS系ドラマ『セカンド・チャンス』に田中美佐子さんとW主演。
その後も1996年1月からは日本テレビ系『奇跡のロマンス』、1997年4月からはテレビ朝日系『奇跡のロマンス』に主演するなど1990年代には多くの連続ドラマで主演しました。
赤井英和の結婚歴や妻との馴れ初め?
赤井英和さんの結婚歴は2回。
前妻はボクシングジムのトレーナーをしていた経験がある女性で、結婚時期は不明ですが、離婚したのは1990年頃。
再婚したのは1993年。
34歳の頃でした。
妻はピアノの先生だった女性。
名前は佳子さん。
東京でドラマ撮影をしていた時に大阪で仲の良かったディレクターが東京にいることを思い出し、飲みに誘うと一緒に来たのが佳子さんでした。
佳子さんほ当時、赤井英和さんのこと知らなかったそうです。
佳子さんが着いた時にはすでに赤井英和さんはベロンベロン。
佳子さんはタイプではなかったのに、赤井英和さんに一目惚れ。
アタックは佳子さんからでした。
佳子さんは酔っていた赤井英和さんが何度も『東スポ持ってきてくれたか』ち言っていたので、帰った後に東スポを手に入れ、ホテルの赤井英和さんドアに東スポと自分の電話番号を書いた紙を入れたそうです。
赤井英和さんは酔っていて前日のことをあまり覚えておらず、とりあえず書いてあった電話番号に電話したそうです。
電話すると赤井英和さんはなんとなく思い出し『また会おうか』という話しになり、その後交際がスタートし、結婚に至りました。
赤井英和の子供は何人?
赤井英和さんの子供は5人。
前妻の子供が娘2人。
再婚した妻との子供が娘が1人と息子が2人。
前妻との子供の次女は赤井沙希さん。
1987年1月生まれ。
次女が2~3歳の頃に離婚しました。
14歳で当時住んでいいた京都でスカウトされ、関西でモデルとして活動。
2004年の写真集発売の際に所属していた事務所が赤井英和さんの娘だと公表。
これがきっかけで14年ぶりに再会しました。
再婚した妻との長男は赤井英五郎さん。
1994年9月生まれ。
プロボクサーです。
2022年7月にプロ初勝利を挙げました。