資生堂専属モデルとして活躍した、女優の秋川リサさんの学歴や経歴は?
デビューのきっかけは?
結婚歴や夫は?子供は娘で元女優のようです。
ビーズ教室とは?
今回は女優の秋川リサさんをリサーチしてみました。
目次
秋川リサの学歴・経歴
名前 秋川リサ
生年月日 1952年5月12日
出身 東京都渋谷区
身長 173cm
血液型 B型
所属 グリーンメディア
父親はアメリカ人で、母親は日本人のハーフ。父親はアメリカ軍の技術者でしたが、母親とは正式に結婚はしておらず、秋川さんが生まれる前に帰国しています。
母方の祖父は政治家秘書で、祖母は元新橋の人気芸者。絵葉書のモデルなったこともあるほどの美貌の持ち主だったといいます。
母親は友人とスナックなどを経営していましたが生活は貧しく、働く母親にの変わりに明治生まれの祖母に育てられ、料理や着物などさまざまな知識を受け継いだそうです。
母親は定期的に彼氏を家に住まわせていたといい、秋川さんが思春期の時に母親の彼氏と衝突し追い出していまってからは、秋川さんがデビューして稼げるようになるまでは口もきいてくれないほどだったといいます。
秋川さんの幼少期の頃は「ハーフ」という言葉はなく、「混血」や「合いの子」とも言われいじめられていました。
高校入学後の15歳の時に芸能活動を始め、入学した高校がアルバイト禁止だったため、文化学院高等部・英語科に転入し高校を卒業しました。
東京都墨田区両国二丁目にあった専修学校。1921年に各種学校として設立しその後、高等部が設立され、英語科と美術科がありました。
高校卒業後には大学などには進学せずに、芸能活動に専念しました。
秋川リサがデビューしたきっかけ
秋川リサさんがデ芸能界入りしたのは、家計のためだったといいます。
『私はお金に苦労してきた親を見てきて、金銭的なことで止むを得ず15才からこの世界で仕事を始めた。そのなかで得たものもあったし、その反面失ったものもありました。』
モデルになったの祖母の、「人と違う風貌を武器にして、人と違う個性を生かしなさい」との助言きっかけだったそうです。
15歳の時にでテイジンのモデルとしてデビュー。高校がアルバイト禁止だっため内緒で仕事していましたが、17歳の時には資生堂夏キャンペーンの撮影でタヒチに1ヶ月間行かなければならなくなり、厳しい処分も覚悟し帰国すると、校長先生は、
『世界は広いでしょ。あなたは幼くして世界を見ることができて、本当に素晴らしい経験をしましたね』
と言ってくれ、その上、特例で学校に残れるように配慮もしてくれたそうです。
しかし、資生堂以外にも契約をすませていたため、アルバイトが可能な文化学院高等部に転校を決めました。
校長先生は最後まで季にかけてくれ、最後の登校日にはわざわざ校門まで見送りにきてくれ、
『誇りを持ってあなたを次の社会に旅立たせます』
と言ってくれたそうです。
資生堂のモデルや11PMの司会で活躍
資生堂の専属モデルは17歳から4年間務め、初代テイジン水着キャンペーンガールにも選ばれました。
1970年、18歳からはァッション雑誌『anan』のレギュラーモデルとして活躍して人気を博し、1972年には三宅一生さんのニューヨーク・コレクションや、高田賢三さんのパリ・コレクションにも参加。
1970年にNHKの『ふとどき千万』でドラマデビュー後は舞台に出演し、1973年には『猿のカーニバル』で舞台初主演。以降は女優活動に力を入れ同年から5年間。自由劇場の公演に参加しました。
1974年からは日本テレビで放送されていた深夜番組『11PM』の司会を愛川欽也さんと共に4年間務めました。
1982年に『オン・ザ・ロード』で映画デビュー以降は『刑事物語』、『さびしんぼう』、『早春物語』などの映画にも出演しました。
秋川リサの結婚歴や夫
秋川リサさんの結婚歴は2回で、最初の最初の結婚は1973年、21歳の時でした。
夫はカメラマンの立木三朗さん。
立木さんはフリーのカメラマンでCMや『anan』の表紙などの雑誌も撮影もしていたといいます。
離婚したのは結婚4年目の1977年でした。
再婚したのは1984年、32歳の時で、一般男性でした。
しかし、39歳の時に離婚。結婚7年目でした。
秋川リサの子供は娘で元女優
秋川リサさんの子供は息子と娘の2人。再婚相手との子供です。
息子は1986年、娘は1987年に誕生しました。
娘の娘の麻里也さんは元女優で、2001年の『3年B組金八先生』第6シリーズで女優デビュー、2004年の『るにん』で映画デビューしました。
2009年以降は活動はしてないようで、その後はアメリカ人男性と結婚し近所に住んでいるといいます。
息子はアメリカ留学の経験があり、金融業界で働いているといい、秋川さんが始めたシェアハウスの管理を任せているそうです。
2024年に孫が2人いると話しています。
ビーズ作家として活動
秋川リサさんが趣味でビーズ刺繍を始めたのは娘が7歳の頃だったといいます。
『娘のウェディングドレスを作りたいという夢が出発点でした。』
しかし、娘の結婚が決まった時いは、
『私はシンプルなドレスがいい。ママは光りものをつけすぎる』
と断られてしまったといいます。
2001年からは東京、大阪、名古屋などでビーズ教室を始め、講師を務めました。
2002年には『秋川リサのビーズワーク』を出版し、2003年には第13回ホビー大賞特別賞を受賞しました。
母親の介護を経験
秋川リサさんが57歳の時に、母親が認知症を発症し介護生活がスタートしました。
『母は78歳で彼氏が出来て、家を出て82歳で帰って来てそれから認知症になりました。 認知症になって彼とうまくいかなくなったのかもしれません。』
最初は「私のお金がなくなった。」などと言うようになり、その後、病状が進行すると買い物に行ってお金を払わずに帰ってくるようになったといいます。
在宅で2年介護した後、施設で4年生活し、2016年に88歳で亡くなったそうです。