東京都出身の俳優・秋野太作さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は俳優の秋野太作さんをリサーチしてみました。
秋野太作の学歴・生い立ち・経歴
名前 秋野太作(あきの たいさく)
生年月日 1943年2月14日
出身 東京都台東区
身長 170cm
血液型 O型
所属 グランパパプロダクション
中学校・文京区立第六中学校
高校・・文京高校
大学・・日本大学法学部中退
本名は津坂 匡章(つさか まさあき)。
父親は第一銀行(現・みずほ銀行)の行員で、戦後は印刷会社を経営。
東京都台東区で生まれ、2歳の時に母親の実家がある大分県杵築市にに疎開。
大分で母親が結核になってしまい、結核の療養施設に入り、秋野太作さんは母親の最初の嫁ぎ先の両親がともにいない家で、父親の違う2人の兄と生活しました。
4歳の時に母親と東京に戻りましたが、1ヵ月後に母親は他界。
10歳の時に父親は再婚しましたが、シンデレラの継母みたいな継母で、暴力も振るわれたといいます。
父親は根っから優しい人で、秋野太作さんが顔を腫らしてるのを見て慰めたこともあったそうでが、追い出すことはなかったそうです。
中学校は文京区立第六中学校を卒業。
中学の同級生には政治家になる小沢一郎さんがいました。
子供時代は団体行動が嫌いでした。
高校は文京高校に進学。
文京高校は、東京都豊島区西巣鴨にある男女共学の都立高校で、現在の偏差値は62。
高校卒業後は、日本大学法学部に進学しましたが、大学2年生の時に中退しました。
秋野太作が俳優になったきっかけは?
『大学に進んで20歳のとき、継母に「出ていけ!」って言われたのを機に家を出た。その後、まもなく俳優養成所に通うことになって、それをオヤジに告げたら喜んでいたね。』
引用 https://encount.press/
秋野太作さんは1963年に、俳優座養成所に第15期生として入所。
同期には、原田芳雄さん、前田吟さん、小野武彦さん、林隆三さん、栗原小巻さん、太地喜和子さん、赤座美代子さんなど錚々たるメンバーがいて『俳優座花の15期生』と言われたといいます。
養成所の入所後は大学は退学しましたが、父親は喜んでくれたといい、、大卒の初任給が2万5000円の時代に、3年間、月3万円の援助をしてくてたそうです。
秋野太作 俳優デビュー後
俳優座で舞台経験を積み、1966年のTBS系『記念樹』でドラマデビュー。
1968年からフジテレビで放送されたテレビ版『男はつらいよ』で寅の舎弟でとら屋の従業員・川又登 役を演じ注目され、女性ファンから火『映画でも出してほしい』との要望が多く、後に映画『男はつらいよ』にも出演することになりました。
1975年から放送された日本テレビ系『俺たちの旅』で女性からモテモテのグズ六 役を演じ、人気を確立しました。
秋野太作の結婚歴や妻は?
秋野太作さんの結婚歴は2回。
最初の結婚は1974年、31歳の時でした。
妻は女優の太地喜和子さん。
太地喜和子さんとは、同い年で俳優座の同期でした。。
結婚生活は続かず1年も経たないうちに離婚。
太地喜和子さんは、1992年10月に車が橋から海に転落する事故で、48歳の若さで亡くなっています。
秋野太作の再婚した妻は?
秋野太作さんが再婚したのは1975年
妻は(おんへきれん)さん。
元宝塚で、退団後は1970年からNHKの歌番組『ステージ101』などに出演していました。
秋野太作の子供は何人?
秋野太作さんの子供は息子が1人と娘が2人の3人。
娘の津坂早紀さんは、1980年7月生まれで、1995年にファッション雑誌『mc Sister』の専属モデルとしてデビュー。
2000年代はドラマや舞台に出演するなど、女優活動もしていました。