大阪府出身の女優・安奈淳さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
宝塚を目指したきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?
病気で余命宣告を受けた?
今回は女優の安奈淳さんをリサーチしてみました。
安奈淳の学歴・生い立ち・経歴
名前 安奈淳
生年月日 1947年7月29日
出身 大阪府箕面市
身長 164cm
血液型 B型
所属 Office Anna Jun
中学校・・梅花中学校
高校・・・高校には進学していません
各種学校・宝塚音楽学校
本名は富岡 美樹(とみおか みき)。
父親は会社員でジャズが好き。
幼い頃から実家ではレコードがかかっていたそうです。
2歳年下の妹がいる2人姉妹。
幼い頃は大人しい性格でよく家で絵を描いたり、本を読んでいたそうです。
中学校は梅花中学校を卒業。
梅花中学校は、大阪府豊中市上野西にある私立の女子校で、現在の偏差値は48。
中学時代も絵を描くのが好きで、画家や舞台装置を作る人などになりたいと思っていましたが、両親には反対されたそうです。
中学卒業は高校には進学せずに、1963年に宝塚音楽学校受験し合格しました。
安奈淳が宝塚を目指したきかっけは?
『女の子が生まれたら宝塚に入れようと思っていたらしくて。ですから、私が目指したわけではなく、生まれた時から両親がともに一生懸命だったみたいです。』
引用 https://hint-pot.jp/
安奈淳さんの両親は共に宝塚の大ファンで、幼いころから家族4人で月に一度は宝塚の舞台を見に行くのが一大イベントだったそうです。
両親の希望で、小学生の時から宝塚コドモアテネに通い、受験対策のためのバレエや声楽や日本舞踊にも通い、レッスンで忙しくて修学旅行や卒業式にも出れないほどだったといいます。
絵描きの道に進みたいとの思いもありましたが、父親の強い希望で中学時代に宝塚音楽学校を受験して合格しました。
安奈淳 デビュー後
『今では考えられないでしょうが、当時の宝塚音楽学校は自由な校風でした』
1963年に宝塚音楽学校に入学し、1965年に宝塚歌劇団に51期として入団。
翌年の1964年に本科生の頃の文化祭で上演した『人格者』という演目では、主演の男役に選出。
1965年12月に雪組に配属され、その後、星組に異動。
1970年、鳳蘭さんと共に星組男役ダブルトップに選ばれ、手役の娘役トップ大原ますみを加えて『ゴールデントリオ』と称されました。
1974年、花組に異動し、退団した甲にしきさんの後任として花組男役トップスターに就任。
1975年に『ベルサイユのばら』で演じたオスカル役は大きな当たり役となり、第1期ベルばらブームを築き、1978年に13年間在籍した宝塚歌劇団を退団。
退団後は東宝演劇部に所属し、ミュージカルやコンサートなどに活躍の場を広げました。
安奈淳の結婚歴や夫は?
安奈淳さんの結婚歴は1回。
結婚したのは1982年、35歳の時でした。
夫は所属していた東宝に勤務していた男性。でしたが、3年後の38歳の時に離婚しています。
その後は再婚はしていないようです。
安奈淳に子供はいる?
安奈淳さんに子供がいるという情報はありませんでした。
安奈淳は病気で余命宣告を受けた?
安奈淳さんは53歳の時に、激しいむくみと呼吸困難に襲われて緊急入院し、SLE(全身性エリテマトーデス)を発症したと診断され、
『余命3日、今夜が山です』
と言われたといいます。
SLE(全身性エリテマトーデス)は、原因は不明で免疫系に異常きたして、全身のさまざまな場所、臓器に、多彩な症状を引き起こす病気で、発熱、 全身倦怠感 などの 炎症 を思わせる症状と、関節、皮膚、そして腎臓、肺、中枢神経などの内臓のさまざまな症状が一度に、あるいは経過とともに起こってくるといいます。
安奈淳さんは舞台でいた歌うと声が途切れ、体も足袋すら履けないほど浮腫み、体重も20キロ以上も増え、朝起きても、風呂で30分も温めないと体が動かないほど筋肉や関節が痛んだそうですが、健康を過信して、病院には行かず、鍼灸や整体、漢方などで凌いでいました。
病院に運ばれた時には全身に水が溜まっていたといい、心臓まで水が達して、あと1時間遅かったら、窒息死していたと言われたそうです。
入院時は65キロあった体重が、10日間かけて水を抜くと35キロになったと話しています。