東京都出身の作家・荒俣宏さん。
生い立ち、経歴や高校・大学などの学歴は?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は作家の荒俣宏さんをリサーチしてみました。
荒俣宏の学歴・生い立ち・経歴
名前 荒俣宏
生年月日 1947年7月12日
出身 東京都
身長 185cm
血液型 B型
小学校・板橋区立板橋第七小学校
中学校・日本大学第二中学校
高校・・日本大学第二高校
大学・・慶應義塾大学
東京都台東区出身の下町育ち。
父親はカメラの部品などを扱う非金属卸業を営んでいましたが、経営に失敗し板橋区に夜逃げし、アパートの大家と雑貨屋を始めました。
妹は漫画家の志村みどりさん。
弟はメガロパ海洋生物研究所・所長の荒俣幸男さん。
小学校は板橋区立板橋第七小学校を卒業。
子供の頃から魚の飼育、映画鑑賞、読書、漫画執筆など様々な趣味を持ち、小学生の時は漫画家志望でした。
中学校は日本大学第二中学校、高校は日本大学第二高校を卒業
日本大学第二中学校・高校は、東京都杉並区天沼にある男女共学の私立高校。
日本大学第二中学校の偏差値は60。
日本大学第二高校の偏差値は67。
共学になったのは1996年からでそれ以前は男子校でした。
中学2年生の時に読んだ『世界恐怖小説全集』にハマり、中学3年生の時に同作品の翻訳家である平井呈一さんにフアンレターを送った事をきっかけに弟子入り。
『他にどんな作品があるのか、教えてもらいたかったんですよ。当時は情報が少なかったから、分からないことは詳しい人に訊ねるしか方法がなかった。』
引用 https://book.asahi.com/
大学は慶應義塾大学法学部に入学。
偏差値は68。
大学在学中に野村芳夫さんと同人誌『リトル・ウィアード』を創刊。
大学卒業後の1970年に日魯漁業(現在のマルハニチロ)に就職。
システムエンジニアとして10年間勤務しました。
荒俣宏 帝都物語で日本SF大賞
荒俣宏さんは日魯漁業に勤務していた時から、執筆活動をしており、入社した1970年に初の翻訳書となる『征服王コナン』を団精二名義で刊行。
『幻想と怪奇』の編集に携わるとともに『世界幻想文学大系』の監修に携わりました。
1977年に初の著書である『別世界通信』を出版。
日魯漁業を退社後、平凡社の『世界大百科事典』の改訂版の編集に参加。
1985年に出版した小説デビュー作『帝都物語』がベストセラーとなり、1987年の第8回日本SF大賞を受賞。
帝都物語の印税は1億5000万円だったといいます。
1988年1月には映画化され、翌年も1989年9月に続編が『帝都大戦』のタイトルで公開されました。
博物学の研究家でもあり、近代初頭の博物学を紹介する多くの博物学研究書を編集・出版しました。
その後は、多分野にわたり精力的に執筆活動を続けています。
神秘学・妖怪研究では水木しげるさんに師事。
オカルト番組にもキャスティングされ出演。
2002年10月から深夜で放送されたフジテレビの『トリビアの泉』にはレギュラーパネラーとして出演していました。
荒俣宏の結婚歴や妻は?
荒俣宏さんの結婚歴は2回、離婚歴は1回。
最初の結婚は1988年2月。
40歳の時でした。
妻は漫画家の杉浦日向子さん。
年齢は11歳年下。
杉浦日向子さんは日本大学芸術学部に入学しますが、講義に興味が持てず、1年で中退。
実家の呉服屋を手伝いながら、朝日カルチャーセンターでの日本の時代考証家・稲垣史生さんの『時代考証教室』に通い、熱心さから正式な『弟子』として認められました。
しかし、稲垣史生さんに、
『代考証で生活できるようになるのはたいへんだ』
と言われたことから、とりわけ好きではなかった漫画へと方向を変えました。
22歳の時、雑誌『ガロ』1980年11月号で、吉原を題材にした『通言・室之梅』(つうげん・むろのうめ)で漫画家としてデビュー。
時代考証が確かな作品で、その作風は文芸漫画と呼ばれました。
漫画家としてだけではなくエッセイスト、江戸風俗研究家としても活動しています。
路上観察学会で知り合って結婚しましたが、半年で離婚しています。
杉浦日向子さんは2005年7月22日に下咽頭癌のため亡くなっています。
46歳没。
荒俣宏の再婚した妻は?
荒俣宏さんが再婚したのは1994年8月。
47歳の時でした。
妻は元JALの客室乗務員の泰子さん。
泰子さんは美的感覚が一般的ではなく、子供の頃からイボガエルを可愛いと思っており、客室乗務員時代はイケメンのエリートの乗客にアプローチされても相手にしていなかったといいます。
妻の泰子さんが荒俣宏さんに一目惚れし、猛アタックの末に結婚しました。
荒俣宏の子供は何人?
荒俣宏さんに子供がいるという情報はありませんでした。