お笑いコンビ・千原兄弟のツッコ担当の千原せいじさん。
千原せいじさんの嫁や子供は?
文春、フライデーの騒動とは?
千原せいじさんの高校などの学歴は?
今回は千原兄弟の千原せいじさんについてリサーチしてみました。
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千原せいじの嫁や息子
千原せいじさんが結婚したのは2002年6月。
嫁は会社員だった伊堂寺亜矢子さん。
年齢は千原せいじさんの2歳したで、結婚したとき、千原せいじさんは32歳、嫁の亜矢子さんは30歳でした。
結婚式は沖縄・宮古島のホテル「ブリーズベイマリーナ」の教会で行われ約40人が出席したそうです。
千原せいじさんと嫁の亜矢子さんの馴れ初め・出合いは沖縄。
ブレイクな前の1994年に千原せいじさんが沖縄でファンと交流するイベントを開催し、ファンだった嫁の亜矢子さんもイベントに参加。
この沖縄のイベントで千原せいじさんと嫁の亜矢子さんは出会いました。
その後、意気投合し交際に発展。
関西出身だった嫁の亜矢子さんとは、千原せいじさんが東京進出後は遠距離恋愛でしたが、交際期間約8年を実らせ結婚に至りました。
しかし、嫁の亜矢子さん兄には結婚を猛反対されたといいます。
『千原兄弟』が世代に大人気だった頃、学園祭に1シーズンに50~60件ほどの出演依頼があるほど引っ張りだこで、移動は吉本の手配した車で行く場合と、イベント会社が用意した車が待ち合わせ場所に迎えに来る場合があったそうです。
ある日、千原兄弟を迎えに来た車が、外見もボロボロで腰掛けるシートも固くなっている酷いものだったとことがあり、千原ジュニアさんは不満を言わず座りましたが、千原せいじさんは運転手に暴言を吐きまくり、時間の関係で車内でお弁当を食べてほしいと言われると、さらにヒートアップしたといいます。
運転手は暴言を浴びせられ低姿勢だったそうですが、その運転手が後に千原せいじさんの結婚する嫁の兄だったそうです。
2012年の話しでは、まだ口を利いてくれないようでした。
千原せいじさんに子供は1人。
2003年に長男の夕(ゆう)さんが誕生しました。
千原せいじの文春・フライデー騒動
千原せいじさんは2019年に、週間文春とフライデーに2度不倫を報じられる騒動がありました。
1度目は2019年5月。
相手は浜崎あゆみ似の20代女性で、週刊誌の記者の取材に、
『カレーライスだけではなく、たまにはハヤシライスも食べたくなる』
とコメント。
2度目は2019年11月。
元AV女優の女性2人との不倫を報じられました。
このときは、週刊誌の記者の取材に、
『激辛カレーや。激辛カレーに手を出してもうたんや。俺は女にもてるために芸能界に入った』
とコメントしました。
1度目のときは、テレビ局の制作側と話し合いテ番組の出演を見合わせ、世間の反応を見ましたが、千原せいじさんの『ハヤシライス』というコメントが面白がられ『ハヤシライス不倫』と話題になりましたが、世間的には『千原せいじさんならしょうがない』との流れがもあったことから、テレビ番組に出始めたといいます。
しかし、2度目の開き直りとも言える『激辛カレー』発言と、2度目までの時間が短かったこともあり、1度目は許された番組も、2度目の不倫ではアウトになった番組もありました。
2度目は1度目と違い仕事にも影響が出てしまったようです。
メディアの直撃取材を受けた、嫁の亜矢子さんは、不倫騒動について聞かれ、
『仕事関係の方々にご迷惑をおかけしたと思うので、申し訳ないという気持ちでいっぱいです。ご迷惑をおかけした方にお許しをいただけたらということだけですね』
引用 https://www.jprime.jp/
2度目の不倫で、今後の結婚生活について聞かれると、
『そうですね。芸人さんと結婚している時点で、ある程度の覚悟はしていますから。離婚は考えていないです』
引用 https://www.jprime.jp/
と答えました。
千原ジュニアさんは甥っ子である、千原せいじさんの息子を心配していたそうですが、2度目の騒動の翌日に遊びに来る予定があり会ったと話し、千原せいじさんの息子は家に入ってくるなり、
『あいつ、アホやな~』
と言ったそうです。
息子は当時16歳でした。
千原せいじさんも息子に、
『お前、もう知らんぞ』
と呆れられたと話しています。
千原せいじの高校などの学歴や経歴
千原せいじさんは1970年1月25日生まれ。
京都府福知山市出身。
父親は一級建築士。
兄弟は弟と妹、弟は相方の千原ジュニアさん。
子供の頃から中学生までの将来の夢は洋菓子の職人。
兄弟の誕生日にはよくケーキを作っていたといいます。
高校は福知山商業高校
福知山商業高校は京都府福知山市にあった私立高校。
2000年に福知山成美高校に校名変更され、当時は男子校だったようですが、一部の学科で男女共学になり、2010年に完全に男女共学になったようです。
現在の福知山成美高校の偏差値は38
進学コースがあり、進学コースの偏差値は65
千原せいじさんの通っていたときの高校はレベルが低かったと語っており、弟の千原ジュニアさんは、
『せいじは本当にアホな高校に行ってたから。高1の中間(テスト)はAからZまで大文字で書けたら100点。期末は小文字で書けたら100点で、せいじは97点でした』
引用 https://hochi.news/
と話し、千原せいじさんも、
『クラスが九九できる人とできない人で分かれていた』
引用 https://hochi.news/
と話しています。
千原せいじさんは高校時代、マラソン大会で車をつかったり、カンニングなどで合計8回停学になったそうです。
高校卒業後、NSC(吉本総合芸能学院)に8期生として入学。
入学後、相方をにするため。15歳の高校1年で引きこもりだった、弟の千原ジュニアさんも誘って入学させました。
まだ15歳だった、千原ジュニアさんを誘った理由について千原せいじさんは、
『何もしてないなら、もったいないから来たら、えーやんかと思っただけ。助けてやろうなんて気は全くなかった』
引用 https://hochi.news/
と明かしています。
千原せいじさんは弟の千原ジュニアさんに、
『明後日までにネタつくってこい』
といい2日後に千原ジュニアさんが作ったネタを生徒の前で披露し、大受けしたそうです。
1989年、お笑いコンビ『千原兄弟』を結成。
コンビ名の『千原兄弟』の名付け親は吉本興業の女性広報社員。
お笑い新人コンテストのエントリーシートにコンビ名を記入する際に、
『千原兄弟でええやん』
と発言したことがきっかけ。
シュールなコントで頭角を現し、1994年には、
ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞
上方漫才大賞 新人賞
を受賞。
2006年に東京進出。
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