アメリカ合衆国出身のテレビプロデューサー、タレント・デーブ・スペクターさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
来日したのはいつ?きっかけは?
タレントになったきっかけやダジャレは?
結婚歴や妻との馴れ初めは?
子供は何人?
今回はのデーブ・スペクターさんをリサーチしてみました。
目次
デーブ・スペクターの学歴・生い立ち・経歴
名前 デーブ・スペクター
生年月日 1954年5月5日
出身 アメリカ合衆国
身長 170cm
血液型 O型
所属 スペクター・コミュニケーションズ
大学・・Institute of Broadcast Arts、IBA
アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ出身。
幼少期には子役として、アメリカでケロッグのコーンフレークのCMなどに出演。
小学5年生の11歳の時に、日本から転校してきたワタル君と出会い、『週刊少年サンデー』と『週刊少年マガジン』などの漫画雑誌を見せてくれたことがきっかけで、日本に興味を持つようになりました。
アメリカのコミックは4色カラーだったことから、色が少ないと思いましたが、たくさんの漫画載っていることが面白かったといいます。
好きになった漫画は『巨人の星』、『おそ松くん』、『伊賀の影丸』。
当時は日本語は読めなかったため、カタカナから少しずつ覚えていったそうです。
16歳の時にシカゴ日系人主催の弁論大会に出場し、2年連続優勝しました。
チャンバラにも興味を持ち、シカゴにあった道場で剣道を6年間習い、初段になったといいます。
日系人向けに外務省経由でまわってくる、『紅白歌合戦』も見て、リール式のテープレコーダーに録音しずっと聴いていて、日本の芸能界にも興味があったそうです。
大学はInstitute of Broadcast Arts、IBAを卒業。
シカゴにある放送系の大学のようです。
同大学在学中の1972年に、1年間上智大学に留学。
四谷のキャンパスに通い、英語教師のアルバイトをしたり百科事典のセールスマンをしていたそうです。
留学時代は貧しく、5円足りなくでラーメンが食べられなかったり、きつねそばは高くて食べられなかったと話しています。
帰国し、1975年に大学卒業後は、シカゴのコメディ劇団セカンド・シティに所属したり、コメディ・ライターとして活躍した後、ABCテレビの番組プロデューサーとなりました。
デーブ・スペクターが来日したのはいつ?きっかけは?
『シカゴで放送学校を卒業して、ロサンゼルスに出るんだけど、ロスには日本人のコミュニティもあったんです。でも、意図的に避けてました。日本のテレビを見ることもできたんだけど、ハマるのが自分で分かってるから見ないようにしてた。もともとは、アメリカのメディアで仕事がしたかったからね。』
引用 https://bunshun.jp/
日本留学を終えてアメリカに戻った後は、日本のことはあくまで趣味として残しましたが、ハマり過ぎることを恐れて、日本の番組を見ることは避けていたといいます。
志望していたアメリカでのメディアの仕事は順調にステップアップし、ABCテレビのプロデューサーになりました。
『子ども時代の経験と、アメリカのメディアの仕事が、うまくミックスしてるんです。なんか運命に導かれたみたいだね。』
引用 https://bunshun.jp/
その後、テレビ局で日本を特集する番組を作ることになり、日本語が出来たデーブ・スペクターさんは上司の指示で、日本の番組を買い付けるためと、ABCテレビの番組の日本特派員として、1983年に再来日しました。
デーブ・スペクターのダジャレはのきっかけは?
デーブ・スペクターさんがダジャレに目覚めたのは小学生の時で、きっけかけは漫画『おそ松くん』でした。
『おそ松くん』のダジャレがかなり面白かったそうで、毎日ダジャレを考えるようになったそうです。
デーブ・スペクターがタレントになったきっかけは?
ABCテレビの番組プロデューサーとして1983年に再来日後、日本のテレビ関係者の目に留まり、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の1コーナーに出演。
出演した企画は日本の風習やことわざの意味を外国人タレントたちに答えてもらう『イズ なるほど・だ・ニッポン』でした。
この企画は日本のことを知らないからこそ繰り出される珍回答が人気を呼びましたが、デーブ・スペクターさんはすでに知っているかどうかは別にして、どう答えれば周りが面白がってくれるか、スタッフの期待に応えられるか考え、番組出演時は加山雄三さんにちなんで『デーブ・雄三・スペクター』と名乗り、イジられていました。
巧みな話で注目され、『ダジャレを発するアメリカ人』としてバラエティ番組や、情報番組のコメンテーターとしてで重用され、タレントとして活動に徐々に軸足を置くようになりました。
2009年には『好きなコメンテーター』ランキングで1位を獲得しました。
デーブ・スペクターの結婚歴や妻は?
デーブ・スペクターさんが結婚したのは1981年11月。
33歳の時でした。
妻は京子・スペクターさん。、
年齢は2歳年上。
妻は京子・スペクターさんは千葉県出身。
高校卒業後に単身渡米し、1975年にレターデーセイントビジネスカレッジ卒業。
1977年からカリフォルニア、ロスアンゼルスの大手ホテルにフロント、ツアーマネージャー、コンシェルジュとして勤務。
ホテルに勤務していた時に、デーブ・スペクターさんと知り合いました。
デーブ・スペクターと妻の馴れ初めは?
フロントで働いていた京子さんを、デーブ・スペクターさんがみそめて、猛アタックを開始。
『あまりにも流暢な日本語でしたからハーフと勘違いしたぐらいです。』
引用 https://www.news-postseven.com/
京子さんはデートの誘いも最初は断っていましたが、デーブ・スペクターさんが十数回もデートに誘って来たため、断る理由もネタ切れし、1回ぐらいデートしたらあきらめてくれるのではないかと思って、しぶしぶデートに応じたそうです。
初デートでデーブ・スペクターさんはお国自慢ばかりで、最初はいい印象ではありませんでしたが、京子さんが日本に1度帰国し、その後アメリカに戻ってきた時、ちょうど感謝祭でみんな休みを取得し故郷に帰ってしていて、ロサンゼルスには誰もいませんでした。
すると、人恋しくなり、ふと頭に浮かんだのデーブ・スペクターさんだったそうで、連絡すると、
『自分の友達もいるから一緒にごはん食べようよ』
と言って、すごく心優しく受け入れてくれたことで、そこから京子さんもなんとなくデーブ・スペクターさんになんとなく惹かれていって交際がスタートしたそうです。
結婚したのはたデーブ・スペクターさんが再来日する2年前で、挙式はシカゴで行いました。
デーブ・スペクターの子供は何人?
デーブ・スペクターさんに子供がいるという情報はありませんでした。
『デーブは京子さんに対し、子供を作れなかったことへの謝罪の言葉を口にした。』
引用 https://datazoo.jp/
その際、妻の京子さんは、『デーブと2人で幸せでした』と話しました。