東京都出身のサウンドクリエイター・DJ KOOさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
元芸人だった?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回はTRFのメンバーのDJ KOOさんをリサーチしてみました。
目次
DJ KOOの学歴・生い立ち・経歴
名前 DJ KOO
生年月日 1961年8月8日
出身 東京都
身長 162cm
血液型 O型
所属 avex
中学校・・鎌ヶ谷市立第二中学校
高校・・・柏日体高校
大学・・・大学には進学していません
専門学校・神田外語学院
東京都生まれ、千葉県鎌ヶ谷市育ち
本名は髙瀨 浩一(たかせ こういち)。
兄弟はおらず一人っ子で、幼少期は少し内気で1人で遊ぶことが好きな子供でした。
父親はレンタカー会社を経営し、実家では母親がスナックを経営、その2階で暮らしていました。
母親のスナックではいつも音楽が流れ、家の押入れにはレコードがたくさんあっって、小さな頃から音楽は身近だったといいます。
小学生の時には沢田研二さんに憧れて、高学年から髪の毛を伸ばしていました。
中学校を鎌ヶ谷市立第二中学校を卒業。
中学時代は卓球部に所属しながら、グループサウンズを聴いてギタリストに憧れ、親戚の飲食店で手伝いをして、一番安いギターとアンプを買ってギターを始めました。
高校は柏日体高校に進学。
千葉県柏市戸張にある男女共学の私立高校で、2016年4月に校名が柏日体高校に改称されています。
現在の偏差値は42~55。
サッカーの強豪校で多くのプロサッカー選手を輩出しています。
高校時代はラグビー部に所属し、ポジションはスタンドオフ。
ラグビー部には入部するつもりはありませんでしたが、入学後、ガラの悪い先輩が教室に押しかけて、『仮入部だから』と名前を書かされてそのまま無理やり入部されられたそうです。
ラグビー部では、現在なら大問題になるほどシゴかれたといい、3年生の時にはキャプテンを務めました。
『大学も行かない、かといってブラブラしているのもよくないから、専門学校に行って、その期間に何か見つけようと思い、親に頼みました。それで、見栄張って神田外語学院っていう聞こえのいいところに行きました(笑)』
引用 https://reminder.top/
高校卒業後は、神田外語学院に進学しましたが、何か目標があって入学したわけではなく、その後、中退しています。
DJ KOOは元芸人だった?
DJ KOOさんは音楽が好きでしたが、落語も好きで、高校卒業して間もない頃には、フジテレビ系バラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の1コーナー『君こそスターだ!』でDJ漫談を披露しています。
『でもお笑いでは芽が出ず、先輩DJに誘われ新宿のディスコでDJをしていました。』
引用 https://www.nikkan-gendai.com/
芸人活動をしていましたが、うまくいかず、間もなくDJに転向したといいます。
DJ KOOがデビューしたきっかけは?
通った専門学校の学生パーティーで見よう見まねでDJっぽいことをやったのが一番最初だといいます。
『いざやってみたら、そこそこできそうなんて思い上がってしまって(笑)。』
引用 https://www.cinra.net/
上野のパブでDJ見習いを始めると、DJの先輩に、
『3曲を回してここで繋げばオーディションに受かるから』
と新宿の一番人気の店でやったほうがいいとアドバイスをもらい、新宿のディスコで活動。
約1年でDJとしては一人前になり軌道に乗ったといいます。
DJ KOO デビュー後
DJとして順風満帆と思われていた1984年に『風営法』が改正され、ディスコの営業時間が大幅に短縮。
DJ KOOさんの仕事も激減したといいます。
DJ界ではリスペクトされるポジションにいたDJ KOOさんでした、給料の高い人から切られていくようになり、DJ KOOさんも切られて、20代後半の頃にはDJの仕事はほとんどなくなってしまったそうです。
当時は結婚もしていたので家にお金を入れるために、清掃のアルバイトを始め、当初は生活の穴埋めでしたが、徐々に清掃の仕事の比重が増えていったといいます。
DJ KOO TRFを結成
清掃のアルバイトがメインになった30歳の頃に、小室哲哉さんが開催する横浜ベイサイドクラブのダンス音楽のイベントでDJのオファーが舞い込み、小室哲哉さんと出会いました。
それまでは小室哲哉さんはポップスの人で、自分はアンダーグラウンドだと斜に構えていたところがあり、小室哲哉さんに対して偏見があったそうですが、突き詰めるような音の作り方をしていた小室哲哉さんに惚れ込み、小室哲哉さんのスタジオに毎日のように通うようになり、押しかけ弟子になったといいます。
清掃の仕事を辞め、少し入るDJの仕事で食いつなぎ、小室哲哉さんのアルバム制作やリハーサルに立会い雑用をこなし、1992年に『trf』(現在はTRF)を結成。
30歳の時でした、
当初は固定メンバーではなく、最大12人いたといい小室哲哉さんのイベント限定のようなグループだったといいます。
1992年2月にシングル『GOING 2 DANCE/OPEN YOUR MIND』でデビューしましたが、本作にはtrfのメンバーの名前は全て記載されておらず、ジャケット裏に”SAM KOO 北村夕起(YUKI)等を強力フィーチャー”と記されています。
その後、DJ KOOさんをリーダーとした5人の固定メンバーとなり、 1993年6月21日にセカンドシングル『EZ DO DANCE』をリリースし、オリコンチャートは最高15位。
1993年12月16日にリリースした5枚目のシングル『寒い夜だから…』がトップ10入りの8位になり、翌年の1994年5月25日の6枚目『survival dAnce ~no no cry more~』が初の1位を記録。
同年に紅白歌合戦に初出場し、以降3年連続で出場しました。
その後も『CRAZY GONNA CRAZY』、『masquerade』などヒット曲連発し5作連続ミリオンセラー達成。
デビュー3年目の1995年には総売上枚数1000万枚突破しました。
1998年以降は小室哲哉さんのプロデュースを離れましたが、以降も活動は続け、2012年にはエクササイズDVD『EZ DO DANCERCIZE(イージー・ドゥ・ダンササイズ)』を発売し、ミリオンを記録。
CDとDVD両方でミリオンセールスを記録したのは日本人初でした。
その後はライブイベント中心に活動し、2023年2月にはデビュー30周年記念プロジェクトとして、およそ5年ぶりのワンマン公演をZepp Hanedaで開催しました。
DJ KOO バラエティ番組で活躍
DJ KOOさんがバラエティ番組に呼ばれるようになったのは52歳の時でした。
きっかけは『ナカイの窓』で、多くのアスリートや芸人が出演する回で、DJ KOOさんも呼ばれて端っこにいましたが、オープニングでいきなり中居さんに、
『ではオープニングはDJ KOOさんのダンスから!』
と無茶振りされ、戸惑いながらニュージャックスウィングのステップを踏むと受けず、すると中居さんに
『こんな空気になっちゃったんですから、なんかひと言お願いしますよー』
と言われ、そこでとっさに出た言葉が、
『EZ DO DANCE!』
で、その後も中居さんと共演するたびに、『KOOさん、またこんな空気になっちゃったじゃないですかー』そのたびに『EZ DO DANCE!』と言うようになったそうです。
その後は幽霊ドッキリ企画で、幽霊をみるやガ合唱し、タクシーの中だったためまさかのノートを取り出し、幽霊と筆談し自己紹介するという天然リアクションを見せて、ツイッターなどで話題になりました。
DJ KOOの結婚歴や妻は?
DJ KOOさんが結婚したのは1989年11月、28歳の時でした。
妻は4歳年下で元銀行員の正美さん。
出会ったのは1984年、正美さんが高校生の時で、共通の知人を介して知り合い、明るく可愛い彼女と好きになり連絡先を渡して、友達になりたいと伝えたそうです。
連絡はきませんでしたが、共通の知人を介して友達関係を築いて、手紙でアプローチし、送った手紙はダンボール4箱分になったそうです。
その後、交際がスタートし、5年の交際期間を経て結婚しました。
私生活について、テレビ番組で小遣い制だと話し、小遣いは1日2000円でクレジットカードは持たせてもらえず、何かあった時のために、に交通系のSuicaだけ持たせてもらっていると話しています。
DJ KOOの子供はいる?
DJ KOOさんの子供は娘が1人。
1999年10月に誕生しました。
結婚10年目の子供で、結婚後なかなか子供ができず、夫婦で産婦人科に通って不妊治療を始めましたが、当初は結果が出なかったそうです。
不妊治療中に、妻の正美さんが甲状腺ホルモンの病気を患い、このままだと子供が産めなくなってしまうかもしれないという状況になりましたが、その後、幸いにも妊娠したといいます。
娘が生まれた時、DJ KOOさんは38歳でした。
DJ KOOさんは小学校からずっと授業参観は皆勤賞で、授業参観でも服装は派手だったそうで、娘が高校生の時に、
『もし友達になんか言われるようだったら言って』
というと、娘からは、
『授業参観とDJ KOOはセットだと思ってるから大丈夫』
という言葉が返ってきたといいます。
2022年3月には娘が大学を卒業し、国家資格を取得、同年に順天堂大学大学院に進学したことを明かしています。
国家資格は一部で臨床検査技師といわれているようです。