福岡県出身のミュージシャン・藤井尚之さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
チェッカーズ入りのきっかけは?
サックスを始めたきっかけは?
結婚歴や妻。子供は?
今回は元チェッカーズの藤井尚之さんをリサーチしてみました。
藤井尚之の学歴・生い立ち・経歴
名前 藤井尚之
生年月日 1964年12月27日
出身 福岡県久留米市
身長 171cm
血液型 A型
所属 株式会社FFM
小学校・久留米市立山川小学校
中学校・久留米市立良山中学校
高校・・九州産業高校
大学・・大学には進学していません
父親は国鉄職員、母親は美容師で美容院を経営していました。
2歳年上の兄は歌手の藤井フミヤさん。
小学校は久留米市立山川小学校、中学校は久留米市立良山中学校を卒業。
中学生3年生の時に、同級生7人でバンド『弁慶』を結成。
高校は九州産業高校を卒業。
1994年に校名が変更され、現在は九州産業大学付属九州産業高校。
福岡県筑紫野市紫にある男女共学私立高校で、現在の偏差値は41~63。
高校生の時に兄の藤井フミヤさんのバンド・チェッカーズに加入しました。
高校卒業後は、大学などには進学していません。
藤井尚之がデビューしたきっかけは?
藤井尚之さんがチェカーズに加入したのは、高校1年生の時。
チェカーズに入ったきっかけは母親で、高校で部活もしてなく、暇だったので母親がチェッカーズに入れるよう言ったそうです。
ちょうど初期メンバーの1人が辞めることになったこともあり加入しました。
藤井尚之がサックスを始めたきっかけは?
藤井尚之さんがチェッカーズに加入する前に辞めたメンバーがベースだったため、当初の担当はベースでした。
その後、ベースの大土井裕二さんが加入したことで、ベースから外れることになりました。
『ドゥワップバンド、ロックンロールバンドって周りにいっぱいいたんですけど、誰1人サックスやってる人がいなかった。じゃあ目立つんじゃない、というのがサックスを始めるきっかけですね。』
藤井尚之さんは、見た目もかっこいいし、サウンドもかっこよく、演奏者もいなかったためサックスを始めたといいます。
藤井尚之 デビュー後
1981年、高校2年生の時に、福岡サンパレスで行われたヤマハ・ライトミュージック・コンテスト九州地区大会に出場し、グランプリを受賞。
すぐにプロデビューの話しが舞い込みましたが、藤井尚之さんの他にも高校生メンバーがいたため、『メンバー全員の高校卒業してから』とデビューは保留となりました。
メンバー全員高校卒業後の、1983年月21日に『ギザギザハートの子守唄』でデビューしましたが、当初はほとんど売れませんでした。
翌年の1984年1月にリリースした2枚目のシングル『涙のリクエスト』がオリコンチャート2位にランクインし、約67万を枚売り上げる大ヒットとなり、相乗効果でデビュー曲の『ギザギザハートの子守唄』で順位を上げて、同年5月の3枚目のシングル『哀しくてジェラシー』と共に、3曲同時トップ10入りを果たしました。
同年に第35回紅白歌合戦に初出場し、以降、解散まで9年連続出場しました。
チェッカーズは・アイドル的人気となり、ファッションなどにも大きな影響を与え、社会現象となりました。
1987年10月21日に藤井尚之さんはシングル『NATURALLY』と同タイトルのソロアルバムを発売し、メンバー初のソロデビュー。
1992年にチェッカーズは解散。
解散後はソロに転向し、1997年からは兄のい藤井フミヤさんと共に音楽ユニット『F-BLOOD』を結成。
作曲家として活躍し、小泉今日子さんの『遅い夏』『プロセス』『風になりたい』、猿岩石の『白い雲のように』、沢田研二『言葉にできない僕の気持ち』など多くの楽曲を提供しています。
藤井尚之の結婚歴や妻は?
藤井尚之さんが結婚したのは2005年1月、40歳の時でした。
結婚相手は12歳年下の一般女性。
挙式はハワイで行われました。
藤井尚之に子供はいる?
藤井尚之さんはの子供は娘が1人のようです。
2010年6月の長女が誕生しています。
結婚5年目の子供で、生まれた時、藤井尚之さんは45歳でした。