藤井フミヤさんは福岡県出身のミュージシャン。
生い立ち経歴や高校などの学歴は?
ミュージシャンになったきっかけは?
結婚や妻は?
子供は何人?
今回はミュージシャンの藤井フミヤさんをリサーチしてみました。
目次
藤井フミヤの学歴・生い立ち・経歴
名前 藤井フミヤ
生年月日 1962年7月11日
出身 福岡県
身長 164cm
所属 株式会社FFM
小学校・久留米市立山川小学校
中学校・久留米市立良山中学校
高校・南筑高校
大学・大学には進学していません
福岡県久留米市出身。
本名は藤井郁弥(読みは同じ)
父親は国鉄職員。
母親は美容室を経営。
父親は給料を家に入れなかったため、美容師の母親が生活費のほとんど出していたそうです。
弟と妹がいる3人兄弟。
小学校は久留米市立山川小学校、中学校は久留米市立良山中学校を卒業。
ロックバンドのキャロルの解散コンサートをテレビで見たことがきっかけで中学時代にギターを買い、バンドを結成。
中学の時に『ポパイ』というバンドを組み、キャロルをコピーして文化祭で1度だけライブをやったそうです。
高校は南筑高校を卒業。
南筑高校は福岡県久留米市御井町にある男女共学の公立高校。
現在の偏差値は47。
高校時代には軽音楽部の先輩と『カルコーク』というバンドを結成。
バンド『カルコーク』は当時の久留米市では人気のバンドだったといいます。
高校卒業後はJRが民営化する前の『国鉄』に就職。
鳥栖駅で半年間の見習期間の後、早岐駅構内係としてブルートレイン『さくら』を連結する業務をしていました。
国鉄に就職したのは父親や周囲に国鉄職員が多かった影響だったといいます。
藤井フミヤがミュージシャンになったきっかけは?
高校卒業後、国鉄に就職しその頃は歌手としてプロになるつもりは全くなかったといいます。
『そう簡単に音楽で食べられるとは思わなかった』
国鉄を辞めたのは当時の彼女が東京に住んでいて会いたかったのと、自分の人生のレールこのままでいいのかなと思いがあったそうです。
国鉄を1年ほどで退職し、1980年に藤井フミヤさんと武内享さん中心に幼馴染でチェッカーズをを結成しました。
藤井フミヤ チェッカーズがアイドル的人気に
1981年、ヤマハ・ライトミュージック・コンテストジュニア部門で最優秀賞を受賞。
1983年3月に上京。
同年9月に『ギザギザハートの子守唄』にデビュー。
当初はあまり売れませんでしたが、翌年の1984年2月にリリースした2枚目のシングル『涙のリクエスト』が売上枚数は67万枚を超えるヒットとなり、相乗効果でデビューシングルも売れ、3枚目のシングル『哀しくてジェラシー』と共い3曲同時トップ10入りを果たしました。
チェッカーズは社会現象化し、ファッションなども若者に大きな影響を与えました。
最大のヒット曲は1984年11月に発売され5枚目の『ジュリアに傷心』。
紅白歌合戦には1984年から1992年まで9回連続出場。
1992年の紅白歌合戦を最後にチェッカーズは解散しました。
藤井フミヤ TRUE LOVEが大ヒット
チェッカーズ解散後はソロで活動。
1993年11月にリリースしたドラマ『あすなろ白書』の主題歌『TRUE LOVE』が大ヒット。
累計売り上げは200万枚を超えました。
同年、紅白歌合戦にソロで初出場。
1996年8月にリリースした10枚目の『Another Orion』も100万枚を超える売り上げを記録。
1997年には弟の藤井尚之さんと『F-BLOOD』を結成しています。
藤井フミヤの結婚や妻は?
藤井フミヤさんが結婚したのは1990年。
27歳の時でした。
妻は中学からの同級生。
デビュー前の国鉄に勤務していた18歳頃から交際していたそうです。
交際期間約10年を経ての結婚でした。
藤井フミヤの子供は何人?
藤井フミヤさんの子供は2人。
子供は息子と娘です。
長男が1991年
長女が1993年
に誕生しました。
長男の藤井弘輝さんは慶應義塾大学卒業後、2016年にアナウンサーとしてフジテレビに入社。
2020年に同局に勤務する年上の一般女性と結婚しました。