大分県出身のプロレスラー・藤波辰爾さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
プロレスラーになったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回はプロレスラーの藤波辰爾さんをリサーチしてみました。
藤波辰爾の学歴・生い立ち・経歴
名前 藤波辰爾(ふじなみ たつみ)
生年月日 1953年12月28日
出身 大分県
身長 183cm
血液型 O型
中学校・武蔵町立武蔵中学校
高校・・高校には進学していません
大分県東国東郡武蔵町(現在の国東市)出身。
兄が3人、姉が2人いる6人兄弟の末っ子。
子供の頃は海や山で思う存分遊んでいました。
小学生の時にジフテリアにかかった経験があるといいます。
中学校を武蔵町立武蔵中学校。
現在は国東市立武蔵中学校。
中学時代は陸上部に所属し、短距離走をやっていました。
中学卒業後は、高校には進学せず、職業訓練学校を経て自動車整備会社に入社しました。
藤波辰爾がプロレスラーになったきっかけは?
『藤波が憧れたのは当時全盛期を迎えていた、アントニオ猪木でした。』
引用 https://victorysportsnews.com/
藤波辰爾さんは小学生の時に見た、プロレスに夢中になりアントニオ猪木さんに憧れました。
中学卒業後は自動車整備工場に就職しましたが、プロレスへの憧れは断ち切れなかったといいます。
当時は現在のように入門テストはなく、プロレスラーになるのは難しく、体が大きいとか、柔道など何らかの実績がある人が、デビューする時代だったそうです。
当時の藤波辰爾さんは身長は160cmそこそこで、体重も60kgそこそこで、プロレスの試合会場に行ってサインが欲しくても声をかけられないぐらいの引っ込み思案だったといいます。
そんな藤波辰爾さんでしたが、試合会場で買ったパンフレットに書いてあった日本プロレスの住所に入門希望を書いて、写真を入れて何通も送ったそうです。
しかし、返事も来ませんでした。
『年に何度か九州巡業に来るんですけど、大分に来た時に直談判するしかないなって』
引用 https://www.bbm-japan.com/
同郷のプロレスラーだった北沢幹之さんが、治療のため別府に滞在している情報を兄から聞き、別府まで行って直談判すると、
『下関で試合があるから、そこに来なさい』
と言われ、その言葉通り出向き、そのまま巡業に帯同し、1970年6月に日本プロレスに入門しました。
16歳の時でした。
藤波辰爾 プロレスラーデビュー後
藤波辰爾さんは入門後、北沢幹之さんのはからいで憧れのアントニオ猪木さんの付き人になりましたが、最初は足が震えてあいさつするのが精一杯だったそうです。
デビュー1971年5月9日で、デビュー戦の相手は北沢幹之さんが務めました。
アントニオ猪木さん幹部の使途不明金を追求したことがきっかけで、1971年12月に日本プロレスを除名され、1972年に新日本プロレスに旗揚げ。
これに藤波辰爾さんも参加しました。
1974年、若手の登龍門たるカール・ゴッチ杯で優勝。
1975年6月に西ドイツに遠征し、その後、アメリカに渡り、カール・ゴッチのもとで修行。
1978年にニューヨークでカルロス・ホセ・エストラーダを初公開のドラゴン・スープレックスで破り、WWWF(WWF)ジュニアヘビー級王座を獲得。
凱旋帰国し、『ドラゴン・ブーム』を巻き起こし、新日本プロレスNo.3の座に就きました。
ジュニアヘビー級王座を通算52回の防衛を果たし、1981年10月にヘビー級転向のためジュニアヘビー級王座を返上。
1982年10月にジノ・ブリットを破りWWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得。
1999年に坂口征二さんの後を継ぎ新日本プロレス社長に就任。
しかし、総合格闘技ブームなどから経営は苦しく、また、会社の経営状況を把握出来ていないなど、藤波辰爾さん自身も経営者として問題があったと言われています。
2003年から社長業の多忙と胆石の治療で長期欠場に入り、2004年に社長を辞任し、副会長に就任。
その後、リングに復帰しましたが、2006年6月30に新日本プロレスを退団。
同年7月に『無我ワールド・プロレスリング』を旗揚げし、2008年に団体名を『ドラディション』に変更。
2015年3月にアメリカで、日本人ではアントニオ猪木さんに続き2人目のWWE殿堂入りしました。
藤波辰爾の結婚歴や妻は?
藤波辰爾さんが結婚したのは1981年。
27歳の時でした。
妻は元モデルの伽織さん。
年齢は同い年。
馴れ初めは伽織さんが、藤波辰爾さんのファンになったことでした。
伽織さんは弟に勧められてプロレスを観戦し、七三分けの藤波辰爾さんを見て、
『こんな人がいるんだ!』
と驚き、試合ぶりもきれいに見えたことからファンになり、試合に通っていると藤波辰爾さんに声を掛けられ交際がスタート。
初デートで行った喫茶店で、藤波辰爾さんココアとプリンを注文。
伽織さんはどちらかを自分のために頼んでくれたのかと思いましたが、注文した品がテーブルに届くと、藤波辰爾さんは、
『あれ?君はなにか飲まないの?』
と聞いたといいます。
このことで伽織さんは、女性を女性をエスコートすることに慣れていないなと思い、逆に信頼するきっかけになったそうです。
藤波辰爾の子供は何人?
藤波辰爾さんの子供は2人。
子供は娘と息子です。
1986年頃に長女の美有(みう)さん
1993年7月に長男の怜於南(れおな)さん
娘の美有さんはプロゴルファー。
息子の怜於南さんはLEONA(レオナ)のリングネームでプロレスラーをしています。