佐賀県出身の俳優、ミュージシャン・白竜さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や妻、子供は?
今回はミュージシャンで俳優の白竜さんをリサーチしてみました。
白竜の学歴・生い立ち・経歴
名前 白竜(はくりゅう)
生年月日 1952年10月3日
出身 佐賀県伊万里市
身長 178cm
血液型 O型
所属 OFFICE白竜
高校・・有田工業高校
大学・・大学には進学していません
在日韓国人2世で、戸籍名は田 貞一(チョン・ジョンイル / でん ていいち)、通名は高山 貞一(たかやま ていいち)。
父親は解体業、弟、2人の妹がいる4人兄弟。
中学時代は剣道部に所属していましたが、担任が演劇部の顧問だったことから、演劇もやらされていたそうです。
高校は有田工業高校を卒業。
有田工業高校は、佐賀県西松浦郡有田町桑古場乙にある男女共学の県立高校で、偏差値は46。
1881年(明治14年)日本初の陶磁器産業技術者養成機関として設立された「勉脩学舎」(べんしゅうがくしゃ)が源流の高校で、人間国宝の陶芸家も輩出しています。
高校時代も剣道部に所属、3年生の時には主将を務め、ニ段を所持しています。
ビートルズがきっかけで音楽も始め、ロックバンドを結成、文化祭では演奏を披露し、女子にキャーキャー言われていたと話しています。
映画『イージー・ライダー』に憧れて、バイクにも乗っていました。
高校卒業後は大学などには進学せず、プロのニュージシャンを目指して上京しました。
白竜がデビューしたきっかけは?
上京後は、秋葉原の電気店で働きながら、バンド活動をしていました。
19歳の時に朝鮮の民族楽器・伽耶琴と出会い、民族文化を知るために約3ヶ月間、民族学校の勉強会に通い、伽耶琴のソリストになりたいと思ったことから、日本で設立された北朝鮮が国外におく唯一の芸術団体・金剛山歌劇団に参加。
その後、ロックバンド活動を再開し、1978年に白竜バンドを結成。
1979年8月にシングル『アリランの唄』でデビュー。
1981年11月にファアースとアルバム『光州City』を発売しましたが、軍事政権下の韓国での『光州事件』題材にしていたことから、その影響で発売禁止になっています。
同アルバムにキーボードとして小室哲哉さんが参加していました。
その後はライブを中止に活動しています。
白竜 俳優デビュー
1984年10月公開の崔洋一監督映画『いつか誰かが殺される』で俳優デビュー。
32歳の時でした。
以降、崔洋一監督作品で歌手兼俳優として重用されました。
1991年に北野武さん初監督映画『その男、凶暴につき』に殺し屋・清弘 役で出演。
当初は警察署長役のオファーでしたが、撮影前に北野武さんがオーディションをしている会場の近くを通りかかったので、オールバックにロングコートで挨拶に行くと、北野武さんやそこにいる人たちにジーッと見られたといい、翌日に電話があり、殺し屋に役が変わり、セリフも少なくなったと聞き、当時は演技経験も少なかったことから、役の変更を喜んで引き受けたといいます。
この役がきっかけとなり、俳優としてアウトローなコワモテ役が次々舞い込み、1991年からはVシネマに出演を始め、多くのヤクザ映画に出演しています。
Vシネマの全盛期には、1本、2週間の撮影で、700万円のギャラを受け取り、人気シリーズになると25本も撮影していたといいます。
白竜の結婚歴や妻は?
白竜さんの結婚歴は1度で、離婚歴はないようです。
結婚したのはデビュー前の1970年代で、妻は2歳年上との情報がありました。
白竜の子供は息子と娘?
白竜さんの子供は息子と娘の2人のようです。
息子は白竜さんのマネージャーをしているようで、2014年のVシネマ『極道の教典』では俳優として白竜さんと共演しています。
娘はヘアメイクの仕事をしていることを明かしています。
孫もいるようです。