日本人初のボンドガールを務めた女優の浜美枝さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
今回は女優のの浜美枝さんをリサーチしてみました。
浜美枝の学歴・生い立ち・経歴
名前 浜美枝
生年月日 1943年11月20日
出身 東京都江東区亀戸
身長 164cm
血液型 O型
中学校・川崎市立中原中学校
高校・・進学していません
父親。母親、兄、2人の弟の6人家族、日本人離れしている顔立ちですが、両親は日本人でハーフではありません。
実家はダンボール工場を経営していまししたが、東京大空襲で自宅、工場共に全焼しましたが、横浜市に疎開していたため家族は全員無事でした。
その後は、6畳一間の長屋で家族6人で生活。
父親は出征していましたが戦後に帰還。
しかし、悲惨な戦場を見てきたことから、父親は抜け殻のようになり、母親が昼夜働き家計を支えました。
父親は10年ほどは働けなかったそうです。
川崎市立中原中学校時代に、図書館で見た本がきっかけで、手仕事によって生み出された日常づかいの雑器に美を見出そうとする運動の『民藝運動』に傾倒しています。
中学卒業後は、高校には先学せずに、東京急行電鉄(東急)に就職し、路線バスの車掌として働きました。
浜美枝が女優デビューしたきっかけは?
1959年、16歳の時に東宝映画の『侍とお姉ちゃん』のコンテストの応募したこがきっかけでスカウトされて、映画製作会社の東宝に入社し芸能界入り。
同じように同年デビューした、同い年の田村奈巳さん、星由里子さんと3人で『東宝スリーペット』と命名され、売り出されました。
日本人初のボンドガール
女優としては活発さの持ち味で、植木等さんらクレージーキャットが出演するコメディ『クレージー映画』の常連マドンナとして出演し、主に植木等さんの相手役を務めました。
1964年にはフランスのオムニバス映画『世界詐欺物語』の「日本編」に出演。
同年5月にはパリでのプレミア上映のため渡仏、カンヌ映画祭にも出席しました。
1962年に公開された映画『キングコング対ゴジラ』を観たスタッフの指名で、1967年公開の、007シリーズ『007は二度死ぬ』で日本人初のボンドガール・キッシー鈴木 役を演じ、国際的な知名度を獲得しました。
司会者、タレントして活躍後、事実上の引退
1970年に東宝を退社後は、テレビドラマにも活動の場を拡げ、タレントとしても活動。
1975年からはワイドショー番組『小川宏ショー』(フジテレビ)の女性パートナー司会を担当、その後も1980年から『八木治郎ショー・いい朝8時』(毎日放送)、1984年からはクイズ番組『SHARPワールドクイズ・カンカンガク学』(日本テレビ)などに司会者として出演しました。
CMではライオンの洗濯用洗剤『トップ』のイメージキャラクターを長年務めてお馴染みでした。
40代後半に事実上女優業は引退。
引退後はラジオパーソナリティー、エッセイストとして活動しながら、環境・農・食問題などのライフコーディネーターとしても活躍しています。
浜美枝の結婚歴や夫は?
浜美枝さんが結婚したのは1969年、26歳の時でした。
夫はフジテレビ社員だった金子満さん。
金子満さんは1939年1月生まれで4歳年上、父親は東宝の重役。
慶應義塾大学法学部を卒業後、フジテレビに入社、ドラマ、クイズ番組を手掛けた後、社内留学制度で南カリフォルニア大学シネマスクールへ留学。
1974年にフジテレビから独立して、映像企画会社のMK COMPANY(エムケイ)を設立。
アニメ『ラ・セーヌの星』『名犬ジョリィ』『太陽の子エステバン』などを、プロデューサー兼シナリオライターとして制作し、1983年には東京工業大学の安居院・中嶋研究室と共同で2Dアニメーションの研究を行い、テレビシリーズのアニメ作品では世界初のコンピュータで描画・彩色した『子鹿物語』を制作。
以降もアニメ制作に携わり、「日本のコンピュータグラフィックスの父」と称されています。
2018年6月15日に、79歳で亡くなっています。
浜美枝の子供は何人?
浜美枝さんの子供は娘2人と息子2人の4人。
子供の小さい頃は女優業と主婦業、育児がに悩みましたが、共演者の女優・沢村貞子さんに、
『なんでも100点取ろうとするからよ。子育ても主婦も俳優も70点でいい。全部足してごらんなさい』
と言われ、すべてを完璧にやろうとして苦しんでいたことに気付いたそうです。
2021年に徹子の部屋に出演した際には、次男夫婦と箱根で一緒に生活していると話しています。