映画「カメラを止めるな!」の大ヒットで、一躍顔を知られるようになった俳優の濱津隆之さんの経歴や学歴は?
芸人、DJを経て俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻、子供は?
今回は俳優の濱津隆之さんをリサーチしてみました。
濱津隆之の学歴・経歴
名前 濱津隆之
生年月日 1981年8月25日
出身 埼玉県川口市
身長 175cm
血液型 A型
所属 ニモプロデュース
父親、母親、姉、兄の5人家族。川口市のマンションで暮らしていました。
小学生の時から運動も勉強も苦手で、リトルリーグに所属していましたが補欠。
人を笑わせることは好きでしたが、人見知りな性格で人前に立つタイプではなく、仲間内でのお笑い担当だったといいます。
中学時代が卓球部に所属していました。
高校は鳩ヶ谷高校を卒業。
埼玉県川口市大字里にある男女共学の県立高校で、設置学科は普通科、園芸デザイン科、情報処理科。偏差値は43~48。
高校時代は弓道をやっていました。
高校卒業後は東洋学園大学に進学。
東京都文京区本郷に本部がある私立大学で、偏差値は40。
大学時代は4年間、学園祭を運営する学園祭運営局の企画班に所属し、お笑い芸人のステージの準備や司会進行などを担当。
大学卒業後はお笑い芸人を目指しました。
芸人として活動
濱津隆之さんは子供の頃から人を笑わせることが好きで、お笑い芸人になったのは大学時代に学園祭運営局に入ったことがきっかけでした。
『大学時代は4年間学園祭の運営を担当する学園祭運営局の企画班に所属し、司会進行を担当したりしていたのですが、それがとても楽しくて、「人を笑顔に、笑わせる仕事」に就きたいと思っていました。』
大学卒業後はアルバイトでお金を貯めて、2005年に吉本の養成所・NSC東京校に11期生として入所。同期にはチョコレートプラネット、シソンヌがいました。
同期の木場光勇さんとお笑いコンビ『はまつとコバ』を結成し、主にコントをやり、濱津さんはボケを担当。
NSCではいくつかの授業で選抜クラスに入る成績優秀者でしたが、NSC卒業後1年ほどでコンビは解散。
『昔からやりたいことをやらずにいるということが出来ない性格で、とりあえずやってみなければ、というところがあったのです。そこで行き着いたのが、DJという仕事でした』
大の音楽好きで、大学卒業時にはお笑いか音楽か悩んだ末にお笑いの道に進みましたが、音楽への想いが抑えきれなくなり、濱津さんから一方的な申し入れでコンビは解散し、濱津さんはお笑い芸人も辞めました。
DJ時代
1度もクラブには行ったことはありませんでしたが、DJを募集しているクラブに片っ端から連絡して採用され「DJ HAMAONE(ハマワン)」としてDJデビュー。
『僕はDJです、って言えばなれるかなと思って』
5年ほどDJとして活動しましたが、DJだけ食べていける手応えは得られず、30歳手前で俳優転身することを決意しました。
俳優デビューし「カメラを止めるな!」が大ヒット
2011年にDJから俳優に転身。
『役者の道を選んだのは、芸人時代に、コントでキャラクターを演じていたことを思い出したから。』
大手のエキストラ会社の登録して、俳優養成所にも通い始め、31歳の時に養成所で出会った先輩に誘われて初舞台を踏みました。
これをきっかけに自分でオーディションを探して、小劇場を中心にフリーの俳優として活動。
舞台で活動をしていましたが、2017年に映像の世界に活動を広げようと、ENBUゼミナールが主催する「CINEMA PROJECT」という企画のオーディションに参加。
オーディションに合格し、映画『カメラを止めるな!』の主演・日暮隆之役に抜擢。
同映画は017年11月に「新宿K’s cinema」で6日間限定でイベント上映された後、2018年6月から「新宿K’s cinema」、「池袋シネマ・ロサ」の2館で単独劇場公開を開始。
すると、SNSを中心に口コミで評判が広がり、7月にアスミック・エースとの共同配給になることが決定。順次上映拡大が行われ、最終的には353館で公開、222万人を動員しました。
第42回日本アカデミー賞では監督賞・脚本賞・編集賞・主演男優賞・撮影賞・録音賞・音楽賞の8部門を受賞。
濱津さんは優秀主演男優賞を受賞しました。
映画のヒット後もしばらくはフリーランスでの活動を続けましたが、2019年2月からアニモプロデュースに所属。
以降はドラマの出演が増え、2020年1月からテレビ東京で放送されたドラマ『絶メシロード』でドラマ初主演を務めました。
濱津隆之の結婚歴や妻、子供は?
濱津隆之さんに結婚歴がなく独身で妻、子供がいません。
結婚願望はあるといい、2020年12月の「結婚したいですか?」の質問に
『できればしたいです(笑)。』
と答えています。