広島県出身の陸上競技指導者・原晋さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
元会社員で陸上競技指導者になったきっかけは?
結婚歴や妻、子供は?
投資に失敗した?
今回は陸上競技指導者の原晋さんをリサーチしてみました。
原晋の学歴・生い立ち・経歴
名前 原晋
生年月日 1967年3月8日
出身 広島県三原市
身長 176cm
小学校・三原市立糸崎小学校
中学校・三原市立第一中学校
高校・・世羅高校
大学・・中京大学 体育学部
父親は小学校の教師。
兄が2人いる男3人兄弟の末っ子。
広島県三原市の実家は自宅の窓から釣り糸を垂らすことができるほど海に近く、子供の頃は外遊びに夢中でした。
ガキ大将タイプで、友だちを集め、ルールや戦略を練って遊ぶことが好きで、勝負にこだわる負けん気の強さは人一倍だったといいます。
小学校は三原市立糸崎小学校を卒業。
小学2年生の時に、長期の入院が必要なほど足を複雑骨折。
退院後は我のリハビリも兼ねて町内でジョギングを始めたそうです。
ソフトボールもやっていて、4番でピッチャーでした。
中学校は三原市立第一中学校を卒業。
中学では野球部と悩んみましたが、幼稚園からの幼なじみの勧めで陸上部に入部。
長距離を始め、校内のマラソン大会では1年生ながら、上級生を抑えて優勝。
3年生の時には、県の総体の1500メートルで2位になっています。
高校は陸上の強豪だった世羅高校に進学。
広島県世羅郡世羅町本郷にある男女共学の県立高校で、現在の偏差値は40~45。
高校3年生の時には陸上部の主将を務め、全国高等学校駅伝大会では、総合2位に貢献しました。
大学は高校のOBが監督を務めていた中京大学に進学。
2年生の時に全日本大学駅伝に出場し、1区で14位、3年生の時には4区で9位。
3年生で出場した日本インカレでは、5000mで3位となりました。
大学卒業後の1989年に地元の中国電力に入社し、陸上競技部の創設に参加。
陸上競技部では主将を務め、1993年には全日本実業団駅伝の初出場に貢献しました。
原晋が陸上競技指導者になったきっかけは?
中国電力に入社5年目、故障蛾原因で、1995年、27歳の時に選手生活を引退しました。
引退後は、中部電力の社員として、検針や料金の集金などの仕事を担当し、営業所に配属されると、約1000万円する企業用の蓄熱式空調システム『エコアイス』で社内一の売上を記録。
その後、立ち上げた新規事業では、当初5人だった部署が120人までの大事業にまで成長し、ビジネスマンとして成功を果たし、サラリーマンとして引退後、10年間勤務。
36歳の時、母校・世羅高校の関係者から、青山学院大学の陸上競技部監督の話しを受け、大学からは、
『大学嘱託職員として任用・期間3年・現在の収入保証』
が提示されましたが、原晋さんは、
『出向及び休職しての指導は中国電力と青山学院大学との関係がないから無理。3年間で結果を出したら3年分の身分保証をして欲しい。ただ結果が出ない場合その必要もない』
と自ら退路を断つ提案をし、2004年に青山学院大学・陸上競技部監督に就任しました。
実際は『5年で箱根駅伝に出場する』と言ったといい、3年契約の嘱託職員だったため目標と契約のミスマッチがあったと話しています。
中部電力を退社し監督に就任することは、妻に相談することはなく、
『青学陸上部の監督になって箱根駅伝で優勝を目指す。ついては夫婦で寮に住み込むことになる』
と突然言われた妻は、驚いて当初は大反対したといいます。
しかし、最終的には受け入れ、寮母として選手を支えています。
就任5年目の第84回箱根駅伝(2008年)で学連選抜連合の監督としてチームを総合4位に導くと、翌年の第85回箱根駅伝(2009年)記念大会では、33年ぶりに青山大学陸上部を箱根駅伝出場に導きました。
2015年の、第91回箱根駅伝では往路・復路共に首位でゴールインし、青山学院大として念願だった史上初めての箱根駅伝・総合優勝へついに導きました。
原晋の結婚歴や妻は?
原晋さんの妻は、元証券会社社員の美穂さん。
年齢は同い年。
出会ったのバブル期で、船上パーティーで知り合った女性を口説きましたがその時は撃沈し、その後、口説いた女性の家に電話すると、たまたま妻とな美穂さんが留守番をしていて、電話に出たそうです。
そうとは知らず船上パーティーで出会った女性だと思い、一方的に口説いていると、
『いや、友だちの美穂です』
と言われ驚きましたが、その後も会話続け、映画に誘ったそうです。
当日、待ち合わせ場所に来た美穂さんに、
『ごめん、映画に行けない。今日は見合いがあるんだ』
と言われ、その日は30分ぐらいお茶を飲んで別れ、後日、お見合いの結果を聞き、改めてデートに誘い交際に発展。
原晋さんは交際3ヶ月ぐらいで結婚しようと思ったそうです。
出会ったの原晋さんが陸上競技を引退した1995年以降で、美穂さんは原晋さんが陸上をしていたことも知らなかったそうです。
原晋に子供はいない?
原晋さんに子供がいるという情報はありませんでした。
原晋が投資に失敗?
原晋さんは2023年に投資に失敗したと報じられています。
原晋さんが原監督が購入、保有していたのは、世界有数の金融機関として名高いクレディ・スイスの債券でしたが、2023年3月に米最大手シリコンバレーバンクの経営破綻に端を発した金融不安の煽りを受け、スイスに拠点を置くクレディ・スイスも経営破綻の危機に陥りました。
その後、多国籍投資銀行のUBSグループに買収されたあげく、クレディ社が発行していた2兆円以上もの債券が無価値と化してしまいました。
原晋さんはマスコミの取材に、
『保有していた債券が紙切れ、ゼロになってしまった』
『紙切れになるという話は聞いていなかった』
と話し、損失額については、
『損失金額は日本のサラリーマンの年収のウン倍』
と話し、
『老後の資金として運用していたのに』
と不満を爆発させました。