東京都出身の評論家・樋口恵子さん。
生い立ち、経歴や高校・大学などの学歴は?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
今回は評論家のさん樋口恵子をリサーチしてみました。
樋口恵子の学歴・生い立ち・経歴
名前 樋口恵子
生年月日 1932年5月4日
出身 東京都
血液型 O型
高校・・東京女子高等師範附属高校
大学・・東京大学文学部
東京都練馬出身。
父親は考古学者の柴田常恵(しばた じょうけい)さん。
『東京人類学雑誌』の編輯にあたり、各地の遺跡・遺物の調査に従事しました。
史跡名勝天然紀念物を内務省が所轄することになった後は、考査員として関与し、その後、慶應義塾大学の講師となりました。
兄弟は兄。
幼少期には、将来子供を持つのは難しいといわれるたほどの重い腎臓炎を経験。
小学校は目白の小学校を卒業しましたが、卒業証書は受け取る前に、印刷所が1945年3月10日の東京大空襲で焼けてしまたため持っていないといいます。
中学校は都立第十高等女学校の併設の併設中学に入学しましたが、警報サイレンが鳴って、校庭の片隅にある防空壕に駆け込む日々だったそうです。
1年生の時に初期の肺結核と診断され、1年半ほど療養生活を送りました。
高校は東京女子高等師範附属高校を卒業。
現在のお茶の水女子大学附属高校。
現在の偏差値は78。
東京でトップの進学校です。
高校時代は創設されたばかりの新聞クラブに所属し、初代編集長を務めました。
大学は東京大学文学部美学美術史学科を卒業。
新聞研究所(現在の社会情報研究所)でも学び、ジャーナリズムを研究・
日本学生新聞連盟の活動にも参加しました。
樋口恵子の結婚歴や夫は?
樋口恵子さんの結婚歴は2回。
夫はエンジニアの男性。
20代半ばの頃の結婚のようです。
『樋口さん31歳、娘さんが4歳のときに夫を亡くした。』
引用 https://www.tyojyu.or.jp/
横浜の新興住宅地で生活していましたが、4年後に夫は亡くなっています。
2人目の夫はの新井直之さんとは事実婚関係でした。
新井直之さんは3歳年上のジャーナリスト。
東京大学文学部独文科卒業。
1951年に共同通信入社。
科学部長、編集委員、調査部長を歴任し、1978年退社して創価大学文学部教授を務め、1993年から東京女子大学現代文化学部教授に就任。
日本ジャーナリスト会議設立時には共同支部幹事を務めました。
1999年5月に69歳で亡くなっています。
樋口恵子 評論家となり選挙出馬
大学卒業後は時事通信社に就職しましたが退職。
最初の夫が亡くなった後は、昼はキヤノンの広報・宣伝の仕事、夜は出版社の学習研究社から仕事に就き、毎日16時間働いたそうです。
1971年の40歳のときフリーの評論家として独立。
女性問題、福祉、教育の分野で評論活動を行いました。
1983年に『高齢社会をよくする女性の会』を同志とともに設立し、介護保険制度の創設などにかかわりました。
1986年から2003年までは、東京家政大学教授を務めています。
2003年4月に民主党副代表の円より子さんから要請を受けて、2003年東京都知事選挙に出馬し約81万票獲得しましたが、次点で落選。
当選した石原慎太郎さんは約300万票でした。
樋口恵子の子供は何人?
樋口恵子さんの子供は娘が1人だけのようです。
樋口恵子さんが31歳の時に4歳だったことから、1959年頃に生まれたようです。
『東京女子医大を出た放射線科の医師である娘さん』
引用 https://www.tyojyu.or.jp/
娘の職業は医師。
『60代の一人娘と同居を続けてきた樋口さん』
引用 https://esse-online.jp/
2021年のインタビューで、娘とは同居していると話しています。