愛知県出身の平泉成さん。
生い立ち、経歴や高校などの学歴は?
結婚しているようですが妻との馴れ初めは?
子供は娘と息子?
今回は俳優の平泉成さんをリサーチしてみました。
平泉成の学歴・生い立ち・経歴
名前 平泉成
生年月日 1944年6月2日
出身 愛知県
身長 174cm
所属 グリーンランド
小学校・岡崎市立宮崎小学校
中学校・岡崎市立宮崎中学校
高校・岡崎商業高校
大学・進学していません
愛知県岡崎市出身。
平泉成さんが生まれた時には愛知県額田郡宮崎村という地名で後に額田町になりました。
本名は平泉征七郎(ひらいずみ せいしちろう)
父親は林業。
母親は助産婦。
7人兄弟の末っ子。
実家は周辺には何もない田舎だったそうです。
小学校は岡崎市立宮崎小学校、中学校は岡崎市立宮崎中学校。
平泉成さんが通っていた時代は岡崎市立ではなく額田町立でした。
高校は岡崎商業高校に進学。
岡崎商業高校は愛知県岡崎市にある男女共学の県立高校で現在の偏差値は48。
高校時代は演劇部に入部。
高校卒業後は名古屋市内のホテルに就職しベルボーイとして半年間働いていました。
平泉成が俳優になったきっかけは?
平泉成さんが子供の頃に年に1度の村祭りに来るに旅芸人の一座を見るのが楽しみでした。
そのうちに演劇が巡回映画に変わって『ローマの休日』などの映画を見て映画俳優に憧れるようになったといいます。
高校では演劇部に入部し、卒業後はホテルに就職しましたが『別の道があるんじゃないか』との思いが湧き上がってきたそうです。
そんな時、ホテルの同僚で寮が相部屋だった先輩に『役者になりたいんなら』と俳優の市川雷蔵を紹介してくれて会ったといいます。
市川雷蔵さんに『大映ニューフェイスの試験』を受けるといいとアドバイスされ、1964年に『で大映京都第4期ニューフェイス』を受け合格。
19歳で大映京都に入社し、数カ月後から通行人役などをやるようになりました。
平泉成 俳優デビュー後
1964年に大映京都に入社し通行人などの役をやった後、1966年6月公開の映画『酔いどれ博士』のトラ松役で正式に俳優デビュー。
当時の芸名は『平泉征』でした。
1967年10月には大映レコードから『愛の歌/夜を抱きしめたい』をリリースし歌手としてもデビューしました。
1971年に大映は倒産しフリーとなり、以降はテレビドラマへ活動の場を移し刑事ドラマや時代劇などで悪役を多く演じました。
これといった代表作がないままだった昭和の終わり頃、
『主役が松坂牛であればオレはそれにはなれない。ステーキの脇にあるダイコン(大根)やにんじん(人参)…根菜になってやろう。競争の少ないそっちを目指そう』
引用 https://www.daily.co.jp/
主役ではなく脇役で生きていこうと決意をしたそうです。
この頃に芸名を『平泉成』に改名しました。
以降は様々な人物像を演じるバイプレイヤーとして活躍しています。
平泉成と妻の馴れ初めは?
平泉成さんが結婚したのは1980年。
36歳の時でした。
妻は13歳年下の里香さん。
里香さんは友人がオープンしたレストランのアルバイトで、出会った時には妻は女子大生で平泉成さんは一目惚れし交際したいと思っていましたが里香さんは悪役を演じる『怖いおじさん』と思って避けいていたそうです。
平泉成さんはそんな誤解を解くために会う時には白いシャツを着て清潔感をアピールしたといいます。
平泉成の子供は息子と娘?
平泉成さんの子供は息子と娘の2人。
長男の陽太さんが1982年、、その後長女の季里子が生まれました。
息子の陽太さんは元俳優で2003年に放送されたドラマ『WATER BOYS』で平泉成さんと初共演しています。
俳優は2006年頃まででその後は俳優はしていないようです。
娘の季理子さんはテレビ朝日に就職しドラマ等の宣伝を担当していて、職場で親子が顔を合わせたこともあったといいます。