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ヒロシ(芸人)の年収がスゴイ?全盛期や現在の収入の違いは?

ヒロシ(芸人)の年収がスゴイ?全盛期や現在の収入の違いは?

近年はキャンプ芸人として知られるピン芸人のヒロシさん。
「ヒロシです…」の自虐ネタで大ブレイクしましたが、全盛期の収入は?
現在の収入はどれくらい?
この記事では芸人のヒロシさんのブレイク時や、現在の収入などについてリサーチしています。

ヒロシの全盛期に収入は?

ヒロシさんがブレイクしたのは2004年、32歳の時でした。

ブレイク前の月収は7万円でしたが、ブレイク後の最高月収は4000万円だと明かしています。

一気に収入が増えたことで、良い場所に住むのが憧れだったことから、家賃2800円のアパートから家賃40万~50万円の高級マンションに引っ越し。

大塚家具で高い家具を買いそろえ、車はジャガーを購入。

目黒区や港区に住んでいたそうです。

『お金持ちの生活って、大変というわけではないですが、僕には必要なかったなと。』
引用 https://mainichi.jp/

目黒区や港区に住んでも、ヒロシさんはお酒もも飲めず、行く場所は売れる前と変わらず、ホームセンターや松屋でだったといい、それら地域には少なく、スーパーの肉なども高いと感じたそうです。

ブレイクが終わり、テレビから姿を消してたまにテレビに呼ばれると、現在の収入を聞かれテレビ側が求めているだろうと「月収は5万円です。」と答えていましたが、実際はイベントなどの営業で、80万円ぐらいは稼いでいたと後に話しています。

ヒロシがキャンプを始めたきっかけは?現在の収入は?

ヒロシさんは子供の頃からキャンプが好きで、小学生の頃から焚火などもしていたといいます。

ブレイクは終わりましたが、営業だけでも食べていける状態になり、平日に休すみも増えたことから趣味のキャンプに行くようになったといいます。

動画を撮影すると、「ユーチューブがあったな」と思い出し、動画を乗せてみると登録者が増えていき、取材が来たり、キャンプ関連の仕事が来るようになったそうです。

ヒロシの現在の収入は?

ヒロシさんの収入はユーチューブだけで、2020年にはの「ヒロシちゃんねる」登録者数76万と、動画の再生数から毎月、「60万~190万」推定されていました。

2024年現在は登録者数は110万人を超えています。

もちろん、他も営業や、『ヒロシのぼっちキャンプ』(BS-TBS)、『ヒロシのひとりキャンプのすすめ』(熊本朝日放送)のレギュラー番組を持っていて、年収は数千万円とも言われています。

2022年にはキャンプ関係の仕事で大忙しで「とにかく休みたい」とコメント。

『だから、収入は答えたくないんですよ。というか、僕は会社(個人事務所)をやっているんですが、会社の売り上げがどんなにあっても、僕には毎月80万円を振り込んでもらうというシステムにしていますね。』
引用 https://mainichi.jp/

2021年11月には所属していたサンミュージックを退社。

個人事務所「ヒロシ・コーポレーション」を設立し、どれだけの収入があっても月80万円で生活しているといいます。

ヒロシの経歴

ヒロシのプロフィール

名前   ヒロシ
生年月日 1972年1月23日
出身   熊本県荒尾市
身長   172cm
血液型  O型
所属   ヒロシ・コーポレーション

本名は齊藤 健一(さいとう けんいち)。

弟がいる長男。

父親は三井三池炭鉱の炭鉱夫で、自宅は炭鉱で働いている人たちが住む炭鉱住宅という長屋のような家でした。

生活は裕福ではなかったといいます。

小学4年生の時に父親が落盤事故で大怪我をし、左ももから下を失い、その後は炭鉱の保健課の事務として働いていました。

熊本県立荒尾高校(偏差値43)時代には、モテたくてビジュアル系バンドを結成。

べースを担当していました。

高校卒業後は九州産業大学・商学部商学科(偏差値42)に進学。

就職活動では福岡や大阪の企業を複数受けましたが全社不採用で、就職先が決まらないまま卒業。 その後は両親の知り合いの紹介で、保険会社に就職。

営業として働いていましたが、人見知りで向いていないと思い、半年で退職しました。

芸人になったきっかけ

ヒロシさんは小学生の時、漫才師のツービートが好きで芸人に憧れ、中学の三者面談で先生に「芸人になりたい」と言いましたが、人見知りの性格だったため先生から全否定されました。

『僕が芸人を目指した理由は、引っ込み思案な自分を変えたいとかそういう理由じゃなくて、自分が面白いってことを証明したかったんです。小学生のときだって、自分の方が絶対面白いことをしているのに、なぜか目立つ子がやった面白くないほうがウケが良いのが悔しかったから。』
引用 https://terakoya.ameba.jp/

大学1年生の時に、友人2人を誘いお笑いトリオ「貴族」を結成。

お笑いオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』(テレビ西日本)に応募し、熊本予選に出場しましたが予選敗退。

保険会社を退職した、23歳の時に今度は1人で『激辛!?お笑いめんたい子』出場しましたがまたも不合格。

番組関係者の福岡吉本社員が、不合格者の中からどうしても芸人になりたい人を募集していたのでヒロシさんはそれに応募。

ピンでのネタを酷評されたことから、コンビを結成しましたが、1か月で解散。

その後、トリオでの活動を経て、コンビ「ベイビーズ」を結成。

26歳の時に上京しました。

「ヒロシです」でブレイク

ベイビーズ時代は、2人共日常生活がままならないほどの方言訛りがひどく、標準語が話せなかったため熊本弁でキレ芸をうやりましたが、ライブのアンケートで「何を言っているのかさっぱり分からない」と不評でした。

コンビは相方との温度差から解散。

一時は芸人を辞めてホストをしていましたが、稼げず一時はホームレスになりました。

2003年の正月に実家に帰り、ノートに幼い頃いじめられたこと、モテなかった青春時代、ホスト時代などのくやしさをネタに書き溜め、「ヒロシです」のネタが完成。

雑誌で生島ヒロシさんを見て「親しみやすい名前」たと芸名をヒロシに改名。

ネタは当初はあまり受けませんでしたが、路線を変えずに、アルバイトをしながらライブやお笑い番組のオーディションに参加。

サンミュージックプロダクションに声をかけられ所属すると、間もなく『エンタの神様』 (、日本テレビ)に出演。

2004年に『笑いの金メダル』(朝日放送)に出演すると、1度だけの予定でしたが、出演者に気に入いられ何度か出演。

これがブレイクのきっかけになりました。

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