オリンピックに2度の出場経験がある、元フィギュアスケート選手・本田武史さんの経歴や学歴は?
フィギュアスケートを始めたきっかけは?
結婚歴や妻、子供は?
今回は元フィギュアスケート選手の本田武史さんをリサーチしてみました。
本田武史の学歴・経歴
名前 本田武史
生年月日 1981年3月23日
出身 福島県郡山市
身長 168cm
血液型 AB型
所属 スポーツビズ
小学校は郡山市立小原田小学校を卒業。
小学生のフィギュアスケートを始め、中学はコーチのいた宮城県仙台市に移住し、中学はリンクから近かった仙台市立七北田中学校に入学。
同中学校の卒業生には同じ元フィギュアスケート選手の羽生結弦さんがいます。
高校は東北高校に進学。
宮城県仙台市青葉区小松島にある男女共学の私立高校で、偏差値は39~58。
高校の1学年したには荒川静香さんがいました。
高校在学中に1998年長野オリンピックに出場。
高校卒業後は法政大学・法学部通信教育課程に進学しましたが、中退しているようです。
本田武史がフィギュアスケートを始めたきっかけ
本田武史さんがスケートを始めたのは1歳年上の兄の影響でした。
兄がスピードスケートを習っていて、本田さんも始めることになったといいます。
『隣にゲームセンターがあって、バッティングセンターがあったんで、ずっとバッティングセンターにいました(笑)』
小学校ではスケート授業もありましたが、本田さんはスケートに特に興味はなく、「やらされていた」と話しています。
そんな時にフィギュアスケートの先生に「フィギュアやってみない?」と誘われて、やってみたところジャンプやスピンが楽しくて本格的に習い始めました。
『小原田小学校に通いながら学校に行く前と放課後に合わせて1日8時間ぐらい練習していました。』
合宿で盛岡に行った時に先生を紹介してもらい、小学5年生からは週に1回新幹線で仙台に通い習っていました。
史上最年少で全日本選手権初優勝
中学入学と同時に母親と共に仙台に移住。
中学1年生の時に全日本ジュニアで8位だったことから、上を目指すために当時日本では飛べる人が数人しかいなかった「トリプルアクセル」を飛ぶことを決意。
2年生の時に成功させ、同年の全日本ジュニアでは優勝し、続いて出場して世界ジュニアでは2位。日本選手権では史上最年少の14歳で優勝を果たしました。
オリンピックに2度出場
1996年4月東北高校入学後、全日本選手権では2連覇を達成。
同年の世界選手権大会では日本フィギュアスケート男女初のメダル(銀メダル)を獲得しました。
初めて出場した1998年長野オリンピックでは、ショートプログラムでトリプルアクセルからコンビネーションの転倒失敗が響き18位となり、フリーでは12位となりましたが、総合で15位に終わりました。同年の世界選手権の予選では、日本人選手として初めて4回転ジャンプに成功しています。
法政大学進学後、2000-2001シーズンには全日本選手権で4度目の優勝。
2度目の出場となった2002年ソルトレークシティオリンピックでは、ショートプログラムで暫定2位になりましたが、フリーでジャンプを失敗し4位。総合でも4位となり惜しくもメダルを逃しました。
2005年に24歳で引退後はプロスケーターに転向。解説者、コーチとしても活動しています。
本田武史の結婚歴や妻、子供
本田武史さんが結婚したのは、現役引退後の2007年10月、26歳の時でした。
妻は1歳年上で大阪府出身の一般女性。
『2007年には友人の食事会で知り合った1歳上の女性と結婚』
知人の紹介で2007年1月頃に出会ったといいます。
『実は本田さんは恐妻家で、奥さんに頭が上がらない。』
一部の報道では本田さんが「恐妻家」だと報じだれています。
子供は3人で、娘が2人と息子1人で、娘はフィギュアスケートをやっているといいます。
長女の本田樹里亜さんは、2024年1月に全国高校総体(インターハイ)に出場し25位になっています。