山形県出身のプロレスラー・本間朋晃さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
プロレスラーになったきっかけは?
事故で全身麻痺から復帰?
声はなぜ?いつから?
結婚歴や妻、子供は?
今回はプロレスラーの本間朋晃さんをリサーチしてみました。
目次
本間朋晃の学歴・生い立ち・経歴
名前 本間朋晃
生年月日 1976年11月18日
出身 山形県東根市
身長 181cm
血液型 A型
小学校・東根市立東根小学校
中学校・東根市第一中学校
高校・・東根工業高校
大学・・大学には進学していましせん
父親、母親、兄、姉の5人家族。
実家は酒屋、兄は自衛隊で、姉は刑務官を経て学校の先生になっているといいます。
小学校は東根市立東根小学校を卒業。
子供の頃はおとなしく引っ込み思案な性格で、ラジオでお笑いを聞くのが楽しみだったそうです。
中学校は東根市第一中学校を卒業。
中学時代は野球部に所属。
高校は東根工業高校に進学。
東根工業高校は、山形県東根市中央西にあった男女共学の県立高校で、県立高校の再編で2014年に閉校になっています。
閉校した2014年頃の偏差値は45。
高校時代は写真部に入っていました。
高校卒業後は、プロレスラーを目指して上京しました
本間朋晃がプロレスラーになったきっかけは?
プロレス好きでアントニオ猪木さんが好きだった父親の影響でプロレスを見るようになったそうです。
『新日本・武藤敬司の試合を小6で見て、運動をしたこともなかった本間少年の体に電流が走った。』
小学生の頃から『プロレスラーになりたい』と思うようになり、長州力選手に憧れ、高校2年生の時に新日本プロレスのテストに挑みましたが不合格。
高校時代は写真部でしたが、家で基礎体力のトレーニングはしっかりやっていたそうです。
高校3年生で就職試験を受ける時に、父親に『プロレスラーになりたい!』と決心を伝え、高校卒業後に上京。
上京後は働きながらアニマル浜口ジムで修行を積みました。
本間朋晃 プロレスデビュー後
2度目のプロテストに合格し、最初は地元に戻ってみちのくプロレスに入団しましたが、1週間で退団。
当時はまだ精神的に弱く、自分に失望して寝込んだといいます。
『1年やってだめだったら実家に戻る』との条件で再び上京し、1年後に大日本プロレスに入団。
1997年5月18日に20歳でプロレスデビューしまいた。
入団後は過激なデスマッチを繰り広げエースとして活動し、2000年には最年少でBJW認定デスマッチヘビー級王座を獲得しましたが、同年10月に退団。
退団後はフリーランスで活動し、2001年11月に全日本プロレスの興行に参戦した際に社馬場元子社長に誘われ、2002年3月23日に全日本プロレスに入団。
社長の指名で武藤敬司さんの付き人を務めました。
2005年の世界最強タッグ決定リーグ戦を前にヘルニアを発症し欠場し、2006年5月1日付けで全日本を退団して、再びフリーとして活動。
その後はZERO-ONE、ハッスルなどの参戦を経て、主戦場を新日本プロレスの興行に移し、2007年2月同団体のヒールユニット『G・B・H』のメンバーに加入。
2009年に正式に新日本プロレスに入団しましたが、2012年3月に新日本プロレスから契約を解除され、フリーランスになっています。
契約解除について新日本プロレスは『本人のプライベートな問題により、本間朋晃選手との契約を本日付で解除しました』
と発表しました。
2014年からはフリーとして、再び新日本プロレスの興行に参加しています。
本間朋晃 事故で全身麻痺から復帰
2017年3月3日、沖縄での試合で本間朋晃さんは邪道選手の技を受け、緊急搬送され診断は『中心性頚椎損傷』の重症で、首から下が麻痺状態になりました。
その後、手術を受け成功し、懸命なリハビリを重ね、四肢麻痺状態からの奇跡の復活を果たし、2018年6月23日に、地元である山形大会で477日ぶりに試合に復帰しました。
本間朋晃の声はなぜ?いつから?
本間朋晃さんの声はしゃがれ声で聞き取りにくくその事を弄られることが多いですが、元々は違いました。
声がしゃがれたのは2006年頃の試合中にラリアットのつもりで首に受けた、右ストレートが原因でした。
パンチを受けた時はすごく痛くて、全く声が出なくなりましたが、『様子を見よう』と病院には行かなかったといいます。
翌日には昨日でなかった声が出たため、徐々に出るようになるだろうと思っていたら、声はそのままだったそうです。
後に病院で調べたところ、治療で声は出るようになるそうですが、どういう声の戻るからは分からないと言われため、治療はしていないそうです。
本間朋晃の結婚歴や妻は?
本間朋晃さんが結婚したのは2017年5月、41歳の時でいした。
妻は同い年の千恵さん。
馴れ初めはプロレスの大会でした。
本間朋晃さんさんは2014年8月の香川県高松市で行われたプロレスの大会に参加。
前日の夜に地元で元々プロレスファンだった千恵さんと本間朋晃さんはバッタリ出会い、千恵さんは、
『明日、試合頑張ってください』
と声をかけると、本間朋晃さんは『ありがとう』と言った後に、
『ご飯にいかない?』
と誘ったそうです。
連絡先は交換しましたが、千恵さんはプロレスファンでしたが、選手の中でも本間朋晃さんの顔が好きではなく、軽いノリで誘われたこともあり第一印象は悪かったそうですが、連絡をとっていると、マメで優しかったことから、千恵さんは徐々に惹かれていったそうで、2016年7月から交際がスタート。
『毎日「大丈夫、大丈夫」ってニヤニヤしてるんですよ。よくぞこの状況でニヤニヤしてられるなって思って。でもその笑顔にどんだけ救われたことか。彼女がいなかったら今の僕はないですから、本当に』
本間朋晃さんがケガで入院した時には、千恵さんは地元高松からすぐに沖縄へ飛び、病院近くに寝泊まりしながら献身的にサポートしたそうで、リハビリ中で復帰前に結婚しました。
本間朋晃に子供はいる?
本間朋晃さんの子供は娘が1人。
2021年4月に長女の日菜(ひな)さんが誕生しました。
娘が誕生した時、本間朋晃さんは44歳でした。