ドラマ「男女7人夏物語」や2時間ドラマで活躍した女優の池上季実子さんの学歴や経歴は?
女優になったきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?
今回は女優の池上季実子さんをリサーチしてみました。
池上季実子の学歴・経歴
名前 池上季実子
生年月日 1959年1月16日
出身 京都府京都市
身長 157cm
血液型 O型
所属 オフィス アップス
父親、母親、1歳年下の弟の4人家族。父親は商社に勤務、母親は歌舞伎役者の八代目 坂東三津五郎さんの次女。
父親の仕事の関係で、アメリカ・ニューヨークで生まれ、3歳までマンハッタンで育ちましたが、アメリカでの記憶は全くなく、物心ついた時は帰国後の京都だったといいます。
『父は些細(ささい)なことで家族に怒鳴り散らし、手をあげた。灰皿に吸い殻が2本たまると、灰皿を替えないことに腹を立て、夕食で肉片を2つ続けて食べようとしただけで、深夜まで延々怒られた。』
母親も父親に手を上げられていて、池上さんをかばってくれることはなかったといいます。
京都では歌舞伎役者の祖父の家で生活していました。父親に家の中では標準語をしゃべらされていて、小学校でも標準語が出て、そのことでいじめられることもあったといいます。
中学校はノートルダム女学院中学校に入学。
京都府京都市左京区鹿ヶ谷桜谷町にキリスト教系私立の女子校で、偏差値は55。
12歳の時に両親が離婚し、母親に引き取られ弟と3人で上京。
中学校は玉川学園中等部に編入しました。
東京都町田市玉川学園六丁目にある男女共学の私立中学校で、偏差値は46。
中学在学中に女優デビューしました。
高校は系列の玉川学園高校(偏差値59)に内部進学しましたが、仕事が忙しくなり、高校は堀越高校・芸能コース(現材はトレイトコース)に転入しました。
東京都中野区中央二丁目にある男女共学の私立高校で、偏差値は38。同級生には岡田奈々さん、岩崎宏美さん、森昌子さんなどがいました。
高校卒業後は、大学などには進学せずに、女優業に専念しました。
池上季実子が女優になったきっかけ
池上季実子さんが女優デビューしたのスカウトがきっかけでした。
池上さんの従兄は代目 坂東八十助(後の十代目 坂東三津五郎)さんで、3歳年上の八十助さんを「お兄ちゃん」と呼び、中学時代には頻繁に自宅に泊まりに行くなど親しくしていました。
1973年、中学2年生の時に八十助さんがNNKの少年ドラマシリーズ『姉弟』に主演すると、収録の見学に誘われて見に行き
、スタジオでプロデューサーに、
『キミ、テレビ興味あるの?』
とスカウトされ、翌年の1974年にNHKの少年ドラマシリーズ『まぼろしのペンフレンド』で女優デビューしました。
「愛と誠」で主演
1974年10月にテレビ東京のドラマ『純愛山河 愛と誠』に主演し、知名度が大幅に上昇し、以降は数々のドラマ・映画に出演。
1975年には大河ドラマ『元禄太平記』に出演し、1979年の『草燃える』にも源頼朝の娘・大姫 役で出演しました。
1977年公開の映画『HOUSE ハウス』で映画初主演を務め、1983年公開の主演映画『陽暉楼』では、
第7回日本アカデミー賞・優秀主演女優賞
を受賞し、1989年の『華の乱』では
第12回日本アカデミー賞・優秀助演女優賞
を受賞しました。
1986年にはTBSドラマ『男女7人夏物語』に為替ディー・浅倉千明を演じ、最高視聴率31.7%を記録。
1990年以降は2時間ドラマ、サスペンスドラマで主演を務めました。
池上季実子の結婚歴や夫、子供
池上季実子さんがの結婚歴は1度です。
結婚したのは1985年3月、26歳の時でした。
夫は古美術商を営む10歳年上の一般男性。
『「恋人と書かれた男性は、みなさん、仕事の先輩。本当なのは、元ダンナくらいなものね(笑)』
結婚前に事実ではない、13人の男性たちと熱愛が報じられ、中には実の弟もおましたが「恋多き女」といわれたことで、マスコミに不信感があり、結婚は発表されませんでした。
子供は娘が1人で、1985年に芽実さんが誕生しています。
『そんな愛娘の芽実さんも結婚した。「でも、子離れができない」と苦笑する季実子さん。』
2013年には娘が結婚したと話しています。