「元祖バラドル」といわれる井森美幸さんの学歴や経歴は?
デビューのきっかけやバラエティで活躍するようになったきっかけは?
熱愛・結婚や夫、子供は?
今回はタレントの井森美幸さんについてしサーチしてみました。
井森美幸の学歴・経歴
名前 井森美幸
生年月日 1968年10月26日
出身 群馬県甘楽郡下仁田町
身長 160cm
血液型 A型
所属 ホリプロ
父親、母親との3人家族。兄弟はおらず、一人っ子です。
2歳の時に母親が亡くなり、その後は伯父夫婦の養子として育てられ、井森さんがその事実を知ったのはデビューした後だったといいます。
小学校は下仁田町立青倉小学校、中学校は下仁田町立東中学校を卒業。
青倉小学校は2009年に閉校、下仁田町立東中学校は2002年に西中学校と統合され、下仁田中学校になっています。
子供の頃は夏は川で泳いだり、山でクワガタやカブトムシを捕まえるなど自然の中で遊んでいました。
中学校ではバスケットボール部に入りました、練習きつくて退部し、コーラス部に入りました。
高校は下仁田高校に進学。
群馬県甘楽郡下仁田町大字下仁田にある男女共学の県立高校で、偏差値は38。
2年生の時に上京し、東京都中野区の堀越高校・芸能コース(現在はトレイとコース)に転校。
芸能活動を始め、高校卒業後は大学などには進学せずに、芸能活動に専念しました。
井森美幸のデビューのきっかけ
井森美幸さんがデビューしたのは「ホリプロスカウトキャラバン」でグランプリを受賞したことでした。
『高校生の時に、何気なくホリプロタレントスカウトキャラバンに応募したんですね。「芸能人になりたい、なれる」とか全く考えてなくて、「将来は高崎か前橋で就職する」って思ってました。』
高校1年生の時に、副賞のハワイ旅行に惹かれて、「第9回ホリプロタレントスカウトキャラバン」に応募。約11万2000人の中からグランプリを受賞し芸能界入りしました。
同コンテストには鈴木保奈美さんも参加していた、審査員特別賞を受賞しています。
受賞後はレッスンを受け、高校2年生に上がる時に上京し堀越高校に転校。
同級生には森口博子さん、武田久美子さん、荻野目洋子さんなどがいました。
アイドルデビュー後
1985年4月、高校1年生の時にシングル『瞳の誓い』でアイドルデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」。
同期デビューは中山美穂さん、斉藤由貴さん。本田美奈子さん、南野陽子さん、森口博子さん、佐野亮子さん、おニャン子クラブなどがいました。
曲は自身の出演したライオンの制汗剤「BAN16」のCMに起用され、オリコンチャート32位となり、翌年に1986年にはTBSドラマ『遊びじゃないのよ、この恋は』の主演に抜擢されるなど華々しくデビューしましたが、その後もヒット曲は出ることはなく
『2年目には戦力外。行くところは学校だけだった』
と話し、堀越高校ではゲタ箱のスリッパを盗まれる数が人気のバロメーターの1つでしたが、1回も盗まれなかったといいます。
バラドルに転身したきっかけ
井森美幸さんがバラドルとして活躍するきっかけとなったのは、会社からの指示で出演したフジテレビの番組『ものまね王座決定戦』だったといいます。
井森さんが忘年会で披露した世良公則さんのものまねの見て「バラエティでいけるんじゃないか」という話になったそうです。
番組でのものまねは女性ではなく玉置浩二さん(安全地帯)を選択。
しかし、リハーサルで披露するとプロデューサーに
『似てねえじゃなえか、なんで来たんだよ』
と怒られ、井森さんは本番までの間にコロッケさんに
『ワンポイントアドバイスをお願いします』
と懇願。本番でアドバイスを実践したところ98点という高得点を出しました。
『安全地帯の玉置浩二さんをやったりしていた。ワンコーラスずっとあえいで終わるという。(あえぎ声で)“なぜぇ、なぜ~”って』
以降、バラエティ番組の出演が多くなり、山瀬まみさん、森口博子さん、松本明子さんらと共に「バラドル」と呼ばれ活躍。
1988年頃には週に14本のレギュラー番組を持ち、7社のCMに起用される人気タレントとなりました。
井森美幸の熱愛、結婚夫、子供は?
井森美幸さんには結婚歴はなく夫、子供はいません。
2004年には当時、30代の青年実業家との熱愛が噂されましたが、その他には熱愛の噂もないようです。
『でもどっかにいい人いないかなとは思ってるよ?』
『一応。やっぱり1回ぐらい嫁にいきたいなとかって思うし。』
2017年にはラジオ番組では結婚願望はあるといい、理想の男性は働き者で、よくご飯を食べ、引っ張ってくれる人がいいと話しています。