長崎県出身のいしだあゆみさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
芸能界入りしたきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?
今回は女優のいしだあゆみさんについてリサーチしてみました。
目次
いしだあゆみの学歴・生い立ち・経歴
名前 いしだあゆみ
生年月日 1948年3月26日
出身 長崎県
身長 163cm
所属 イザワオフィス
小学校・大阪学芸大学附属池田小学校
中学校・大阪教育大学附属池田中学校
高校・・上野学園高校
大学・・大学には進学していません
長崎県佐世保市生まれ、大阪府池田市育ち。
本名は石田 良子(いしだ よしこ)。
4人姉妹の次女。
母親は当時あった『梅田スポーツガーデン』内で喫茶店を経営。
3歳の時にフィギュアスケートを始め、小学6年生の時には関西フィギュアスケート選手権で優勝。
姉の石田治子さんはの元フィギュアスケート選手で同志社大学在学中に、1968年グルノーブルオリンピック女子シングル日本代表として出場。
26位でした。
大学卒業と同時に引退し、指導者として活躍.
宮原知子さんらの指導もしました。
小学校は大阪学芸大学附属池田小学校、中学校は大阪教育大学附属池田中学校を卒業。
大阪学芸大学附属池田小学校、中学校は大阪府池田市緑丘にある男女共学の国立学校。
大阪教育大学附属池田中学校の現在の偏差値は68。
中学時代に芸能活動を始め、上野学園中学校に転校。
高校は上野学園高校を卒業。
上野学園高校は東京都台東区東上野にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は44~54。
男女共学になったのは2007年からで、以前は女子校でした。
高校卒業後は大学などには進学していません。
いしだあゆみが芸能界入りしたきっかけは?
いしだあゆみさんの芸能界入りのきっかけはスカウト。
1960年にスカウトされ、子役として活動した後、1962年、中学生の時に上京。
作曲家のいずみたくさんに師事し、同年4月にソノシートで『夢みる恋(原題:Walkin’ Back To Happiness)』を石田良子 名義でリリース。
ソノシートとは通常のレコードと異なり、極めて薄く、容易に曲げることができる程度に柔らかいため、雑誌の付録などに使われた録音盤です。
1964年4月にいしだ あゆみに改名。
同月に『ネエ、聞いてよママ』をリリースし、本格的にアイドル歌手としてデビューしました。
当時、16歳でした。
いしだあゆみ ブルーライトヨコハマが大ヒット
いしだあゆみさんは1964年4月にデビュー後、1968年までに23枚のシングルをリリースしましたが。ヒット曲には恵まれませんでいした。
1968年6月に日本コロムビアへ移籍。
同年12月にリリースした『ブルー・ライト・ヨコハマ』が翌年の1969年に大ヒット。
累計150万枚を超える売上を記録するミリオンセラーとなりました。
1969年に第20回 NHK紅白歌合戦に初出場。
その後も、『あなたならどうする』、『砂漠のような東京で』がヒット。
紅白歌合戦には1977年まで9回連続出場し、1993年までに累計10回出場しています。
横浜市のご当地ソングとして代表的な楽曲で、横浜市が2009年の横浜港開港150周年を記念して『横浜市のご当地ソング』のアンケートを取ったところ、2位の童謡『赤い靴』を大きく引き離し、『ブルー・ライト・ヨコハマ』が第1位となっています。
いしだあゆみ 女優として
歌手デビューした1964年から翌1965年にかけては、TBS系テレビドラマ『七人の孫』に森繁久彌さんの孫役で出演。
1977年2月公開の映画『青春の門 自立編』で
第1回日本アカデミー賞・優秀助演女優賞
第2回報知映画賞・助演女優賞
を受賞。
1982年には『駅 STATION』、1983年には『野獣刑事』、『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』で2年連続、
日本アカデミー賞・優秀助演女優賞
受賞。
1986年4月公開の映画『火宅の人』と同年10月公開の映画『時計 Adieu l’Hiver』の演技で、
第10回日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞
第26回 ブルーリボン賞
を受賞しました。
映画『時計 Adieu l’Hiver』では経験を活かしてフィギュアスケートのコーチを演じました。
テレビドラマでも1980年代には多くのドラマに主演しました。
1989年上半期のNHK朝の連続テレビ小説『青春家族』ではヒロインを清水美砂さんとともに務め、放送時点41歳で当時としてはヒロイン史上最年長でした。
2003年下半期のNHK朝の連続テレビ小説『てるてる家族』で上原多香子さんがが演じた岩田夏子はいしだあゆみさんががモデルで、自身もクラブ歌手役として出演しました。
いしだあゆみの結婚歴や夫、子供は?
いしだあゆみさんが結婚したのは1980年5月。
32歳の時でした。
夫は俳優の萩原健一さん。
年齢は2歳年下。
萩原健一さんは離婚経験があり再婚。
馴れ初めは1977年に放送されたドラマ『祭ばやしが聞こえる』での共演。
離婚したの1984年3月。
結婚生活は約4年でした。
『妻として自身がなくなってしまった』
離婚時、いしだあゆみさんは36歳、萩原健一さんは34歳でした。
萩原健一さんは1983年に大麻事件、1984年に交通事故を起こし、離婚会見でそのことについて聞かれると、いしだあゆみさんは、
『事件はショックでしたが、直接の原因はそれだけではありません』
と否定し、萩原健一さんについては、
『大恋愛の末に結ばれた人なので、できるならもう一度、惚れさせてもらいたい』
と目を潤ませました。
いしだあゆみさんに子供はいません。
その後に再婚もしていません。