東京都出身の・石井ふく子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
石井ふく子さんは元女優?
結婚歴は夫は?
子供は何人?
今回はの石井ふく子さんをリサーチしてみました。
石井ふく子の学歴・生い立ち・経歴
名前 石井ふく子
生年月日 1926年9月1日
出身 東京都
血液型 A型
高校・・文化学院 東京女子経済専門学校
大学・・大学には進学していません
東京府東京市下谷(現在の東京都台東区下谷)出身。
父親は俳優の伊志井寛さん。
母親は芸者。
芸者だった母親の影響で、3歳から日本舞踊を習い始め、稽古が楽しくて幼少期は踊りに夢中。
その反面、勉強は嫌いだったといいます。
13歳の時にかっけを患い、かかとが下につかなくなって踊りが踊れなくなり、治療には約2年かかったそうです。
かっけの治療中に文化学院に入学。
文化学院は東京都墨田区両国にある専修学校。
3年制の高等課程を卒業すると、大学入学の資格を得られます。
文化学院の先輩には女優の高峰秀子さん、先生には与謝野晶子さんがいたといます。
校風は自由で制服もありませんでしたが、石井ふく子さんにはこの自由さが合わず、制服と自分で決めたものを着て通学したそうです。
家を引っ越したため、文化学院から東京女子経済専門学校に転校。
東京女子経済専門学校は、現在の新渡戸文化高校。
現在の偏差値は50。
同学校時代に戦争を体験し、山形県に疎開。
19歳の時に終戦を迎え東京に戻りました。
石井ふく子は元女優?
終戦後、東京に戻ったものの、空襲で元住んでいた家は焼け、住む家がが見つからなかったそうです。
そんな時、父親の友人の俳優・谷川一夫さんと偶然再会し、
『そんな事情なら家に来て一緒に住めばいい』
と言ってくれ、生活が落ち着きました。
石井ふく子さんも就職先を探しましたが、なかなか見つからずにいると、長谷川一夫さんに、
『新東宝でニューフェイスを募集している、給料ももらえるから受けてみなさい、推薦しておく』
と言われ受けてみると合格。
1947年5月公開の時代劇映画『大江戸の鬼』で女優デビュー。
高峰秀子さんの友人の役でした。
当時、20歳。
しかし、華やかな世界に馴染めず、体も壊してしまったことから、2年で退社しました。
石井ふく子 TBSに入社
新東宝を退職した後、新聞の募集広告を見て、住宅メーカーの会社の日本電建に就職し宣伝部に配属。
TBSのラジオドラマにスポンサーとしてかかわり、収録に立ち会っていると、そのうち、次は何をやりましょうか、とアイデアを求められるようになったそうです。
その後、テレビ局が開局になると日曜劇場のプロデューサーに、と声が掛けられましたが、日本電建の社員だったため断りましたが、TBSの編成局長が直接会社の社長に掛け合い、社長から、
『君の才能はテレビで伸びるかもしれない、会社とテレビの仕事、掛け持ちでやってみろ』
と言われ、、月~金は会社の仕事、土日はテレビの仕事を休みなしで3年間続け、結局、日本電建は退社。
TBS嘱託という身分から、正式に社員となりました。
TBSプロデューサーとして、『肝っ玉かあさん』『ありがとう』など、数々のホームドラマをヒットさせました。
1974年にTBSを退社後は、フリーランスプロデューサーとして活動し、2000年代以降はテレビ朝日のドラマも手掛けました。
石井ふく子 橋田壽賀子ドラマ
橋田壽賀子とは、1964年4月に放送されたドラマ『日曜劇場 愛と死をみつめて』で組んだことから親しくなりました。
以降は橋田壽賀子さんのドラマに大きく影響するほどの親交があり、『渡る世間は鬼ばかり』では長く組みました。
橋田壽賀子さんと元TBSテレビプロデューサー岩崎嘉一の交際を取り持ち、結婚にも携ったそうです。
石井ふく子の結婚歴や夫は?
石井ふく子さんは独身ですが、32歳で結婚し、その後、離婚したとの情報もありましたが、結婚相手や真相は不明でした。
石井ふく子の子供は何人?
石井ふく子さんに、子供がいるという情報はありませんでした。