三重県出身のタレント・磯野貴理子さん。
高校などの学歴や経歴は?
結婚し離婚歴がありますが、最初の夫との離婚理由は?
再婚した元夫との馴れ初めや離婚の理由は?
脳梗塞の後遺症は?
今回はタレントの磯野貴理子さんについてリサーチしてみました。
磯野貴理子の学歴・経歴
名前 磯野貴理子
生年月日 1964年2月1日
出身 三重県南伊勢町
身長 155cm
所属 ジャパン・ミュージックエンターテインメント
高校・南勢高校
大学・進学していません
実家は農家。
5人兄弟の3番目。
実家の農家は15代いている老舗の農家。
米を作っているようです。
中学時代は卓球部に所属。
高校は南勢高校に進学。
南勢高校は現在の南伊勢高等学校 度会校舎です。
南伊勢高校は三重県度会郡南伊勢町にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は38。
1982年に高校を卒業。
高校卒業後は地元の銀行に就職し、東京の日本橋支店に配属になり三重県から上京。
もともと東京への憧れが強かった磯野貴理子さんはとても嬉しかったそうですが、会社の寮は都内ではなく、千葉県市川市だったそうです。
総武線で通っていましたが、痴漢にあったこともあったといます。
銀行は3年間勤め退職しました。
磯野貴理子 芸能界デビュー
磯野貴理子さんは銀行を退職後、1985年、21歳のとき、『劇団七曜日』のオーディションを受け合格し入団。
女優を目指しました。
翌年の1986年同じ『劇団七曜日』の劇団員だった久留龍子さんと茂原裕子さんとともにお笑い女性アイドルグループ『チャイルズ』を結成。
1987年10月から『笑っていいとも!』(フジテレビ系)に代目いいとも青年隊としてレギュラー出演。
当時、磯野貴理子さんは24歳でしたが、年齢を5歳偽り『19歳』と言っていたこと後に明かしています。
妹が『いいとも』を客として観覧しに来たとき、タモリさんに『妹、いくつなんだ?』と聞かれ『20歳です』と言ってしまったことで年齢詐称ががバレたといいます。
1988年4月、シングル『恋は魚河岸のごとく』をリリースし歌手デビュー。
1989年8月までシングル3枚、アルバム1枚をリリースしました。
1992年に『チャイルズ』は解散。
解散後は仕事は減少し、ワイドショーなどのリポーターを務めた後、タレントとしてバラエティ番組で活動しました。
1994年4月からフジテレビ系のトークバラエティ番組『おそく起きた朝は…』が放送開始。
2003年3月までは9:30から、 2005年3月までは13:30から放送。
2005年4月からは6:30からの放送となり番組名も『はやく起きた朝は…』に変更されました。
番組は2021年現在で27年目の長寿番組になっています。
磯野貴理子の結婚歴と最初の夫
磯野貴理子さんの結婚歴は2回。
最初の結婚は2003年12月。
39歳のときでした。
夫は当時の担当マネージャーだった7歳年下の正司宏行さん。
正司宏行さんは『かしまし娘』の正司照枝の長男。
10年間交際期間を経ての結婚でした。
しかし、2009年年12月に離婚。
結婚生活は6年でした。
離婚理由は、
『夫の浮気が原因』
と発表されました。
磯野貴理子と再婚した夫は?
磯野貴理子さんが再婚したの2012年8月。
48歳のときでした。
夫は高橋東吾さん。
24歳年下で当時25歳でした。
職業は飲食店店長。
馴れ初め・出会いは高橋東吾さんが働いていたお店に磯野貴理子さんが行ったこと。
2011年10月には交際していることを明らかにし、、磯野貴理子さんがスポンサーとなり、バー『Rabbit Foot』を開店することを発表されていました。
2012年8月放送の日本テレビ系『行列のできる法律相談所』で高橋東吾さんから公開プロポーズを受け、結婚しました。
磯野貴理子と元夫の離婚理由は?
磯野貴理子さんが2回目の離婚をしたのは2019年5月。
結婚生活は約7年でした。
離婚はフジテレビ系のレギュラー番組『はやく起きた朝は…』で報告さました。
離婚理由は同番組で、
『俺ね、自分の子どもが欲しいって。自分の子どもが欲しいんだって言われて』
と説明しました。
磯野貴理子さんは覚悟もしていたといい、
『自然なことだよ、あたりまえじゃないの、わかったわかった』
と言って別々の道を歩くことになったと話しました。