京都府出身の元プロ野球選手・糸井嘉男さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
現役時代の年俸推移は?
天然伝説とは?
結婚歴や妻、子供は?
今回は元プロ野球選手の糸井嘉男さんをリサーチしてみました。
糸井嘉男の学歴・生い立ち・経歴
名前 糸井嘉男
生年月日 1981年7月31日
出身 京都府与謝野町
身長 188 cm
血液型 A型
小学校・岩滝小学校
中学校・橋立中学校
高校・・宮津高校
大学・・近畿大学
父親はトライアスロン選手として活動し、2022年の74歳の時点でも現役を続けていました。
小学校は与謝野町立岩滝小学校を卒業。
小学生の時にみんながやっていたことから、自然な流れで野球を始め、地元の少年野球チームに入団。
ポジションはピッチャーでしたが、抜群に上手かった訳では馬なかったといいます。
中学校は橋立中学校を卒業。
橋立中学校は公立中学校ですが、宮津市の北部、吉津地区と与謝野町の旧岩滝町域を校区としているため、中学校組合の運営となっていて、正式な学校名は与謝野町宮津市中学校組合立橋立中学校と長い校名になっています。
中学時代は軟式野球部に所属し、ポジションはピッチャーでしたが、目立った活躍はありませんでした。
高校は宮津高校に進学。
宮津高校は、京都府宮津市字滝馬にある男女共学の府立高校で、現在の偏差値は53。
高校に入学して間もなく病院の診断で、中学2年時から膝の皿が割れていて、痛みに耐えながらプレーを続けていたことが発覚し、膝を手術。
リハビリを行い、2年生の時にやっと走れるようになり、2年の春の練習試合で高校で始めて登板しました。
しかし、試合直前に肩の痛みを感じ1人に投げただけで降板、病院で診断で手術となり、今度は肩の手術を行い復帰したのは3年生の春でした。
高校時代に野球が出来たのは3生の4ヶ月だけでしたが、当時で球速は141キロだったといいます。
阪神のスカウトが見に来たこともありましたが、ドラフト指名が確実ではなかったため、4年後を見据えて高校卒業後は近畿大学に進学。
大学時代は1年秋から先発を務めていた同学年でエースの野村宏之さんなどの影に隠れ、3年時の2002年春までリーグ戦での登板はありませんでた。
しかし、リーグ戦でデビューを果たすと、4年時の春季リーグで2度の完封勝利を含む無敗の5連勝し、リーグMVP・最優秀投手・ベストナインの三冠に輝きました。
当時の球速は150キロ以上でした。
糸井嘉男の現役時代の年俸推移は?
2003年11月のプロ野球ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズに自由獲得枠で入団。
契約金1億円、年俸1500万円、背番号は26。
ピッチャーとして入団しましたが、2006年に正式に外野手にコンバートしました。
現役時代の年俸推移
2004年 23歳 1500万円 日本ハム
2005年 24歳 1300万円 日本ハム
2006年 25歳 1050万円 日本ハム
2007年 26歳 1000万円 日本ハム
2008年 27歳 1030万円 日本ハム
2009年 28歳 1800万円 日本ハム
2010年 29歳 6000万円 日本ハム
2011年 30歳 1億円 日本ハム
2012年 31歳 1億9000万円 日本ハム
2013年 32歳 2億円 オリックス
2014年 33歳 2億5000万円 オリックス
2015年 34歳 3億5000万円 オリックス
2016年 35歳 2億8000万円 オリックス
2017年 36歳 4億5000万円 阪神
2018年 37歳 4億円 阪神
2019年 38歳 4億円 阪神
2020年 40歳 4億円 阪神
2021年 41歳 1億8500万円 阪神
2022年 42歳 8500万円 阪神
生涯年俸は34億2680万円でした。
2004年、2005年は1軍に登録されることはなく、二軍では通算36試合に登板し、8勝9敗3セーブで防御率は4.86。
2006年に外野手にコンバートし、一軍での登板をありませんでした。
2007年に初めて開幕一軍入りを果たしましたが、すぐにニ軍落ちし、2008年に初の開幕戦先発出場を果たしましたが、肉離れが悪化しニ軍落ち。
2009年にセンターとしてついにレギュラーに定着し、6月には初の月間MVPを受賞。
2010年には5番センターとしてクリーンナップの一角を担い、2011年の年俸は1億円。
2013年に交換トレードでオリックスに移籍し、年俸は2億円。
2014年には自己最高の打率.331で初の首位打者を獲得し、2015年の年俸は3億5000万円。
2016年には53盗塁を記録し自身初の盗塁王を獲得し、同年にFA権を行使し、2017年に阪神に移籍し、年俸は自己最高の4億5000万円。
2020年には古傷の悩まされ、移籍後最少の86試合の出場に終わり、オフには2億1500万円減となる推定年俸1億8500万円でサイン。
2021年は開幕スタメンを逃し、シーズン通算では77試合の出場となり、オフに1億円減となる推定年俸8500万円+出来高払いで契約を更改。
2022年9月に現役引退を発表しました。
引退後の2023年はは毎日放送・北海道テレビの野球解説者、デイリースポーツの野球評論家を務めました。
糸井嘉男の天然伝説とは?
糸井嘉男は高い身体能力ら愛称は超人。
非常に天然でもあり、それは宇宙人級とも言われました。
天然エピソードは多く、中学時代には勝てば府大会出場となる大会の日、試合前の練習でベンチで休憩していると、顧問に『帰れ!』と怒鳴られてそれを真に受けて帰ってしまい、学校の眼の前に自宅があった糸井嘉男さんは、試合に向かうチームのバスに向かって『頑張ってこいよ~!』と手を振っていたといいます。
エースの糸井嘉男さん不在で試合は敗北し、府大会には出場できず、糸井嘉男さんも野球強豪校から誘いは受けられなかったそうです。
日本ハムに入団し球団関係者との会食の後に、記者の『どうでしたか?』と聞かれ、
『エビフライでした』
とこ出されたメニューを答えました。
投手時代にブルペンで投げていると、後ろで見ていた日本ハムの元エース、岩本勉さんが『ノーコンやなぁ』と声をかけると、
濃紺のアンダーシャツを見せながら、
『えっ??これ、黒ですけど……』
と言いました。
プロ入り5年目に球団スタッフに、『右中間ってなんですか?』と質問。
入団6年目の契約更改でハンコを押そうちポケットから出したらリップクリームでした。
オリックスで主将を務めることになった時に、記者からの『キャプテンマークに“重み”は感じますか』の質問に、
『結構軽い素材なんで』
と答えました。
コーチから『何も考えないようにしてバットを振れ』とアドバイスされると、『何も考えないって何だっけ?』と混乱。
他にも打った球種を取材陣に聞かれ、『ストライクです』と答えたり、試合で『2アウトからタッチアップした』などのエピソードもありました。
糸井嘉男の結婚歴や妻は?
糸井嘉男さんが結婚したのは2005年10月、24歳の時でした。
妻は1歳年下の恵美さん。
結婚時に記者に馴れ初めについて聞かれ、『なれそめって何ですか?』と聞き返したとの天然エピソードの情報はありましたが、実際の馴れ初めについての情報はありませんでした。
妻の恵美さんはは神奈川県横浜市出身で、2018年にアスリートフードマイスターの資格を取得しています。
糸井嘉男の子供は何人?
糸井嘉男さんの子供は娘が2人。
2006年に長女、2009年に次女が誕生しています。