東京都出身の伊東ゆかりさん。
生い立ち、経歴や高校などの学歴は?
伊東ゆかりさんの結婚歴や夫は?
子供は娘で歌手?
今回は歌手の伊東ゆかりさんをリサーチしてみました。
目次
伊東ゆかりの学歴・生い立ち・経歴
名前 伊東ゆかり
生年月日 1947年4月6日
出身 東京都
身長 158cm
所属 ビバリーメディアアイランド
小学校・杉並区立高井戸第二小学校
中学校・立正中学校
高校・関東学園女子高校
大学・進学していません
東京都品川区出身。
本名は伊東信子。
父親はミュージシャンでバンドでベースを担当し米軍キャンプで演奏していました。
母親は5歳の頃に風呂敷に色んな物を詰めて出て行ったといいます。
兄弟は弟が1人。
小学校は杉並区立高井戸第二小学校に入学。
小学3年生の時に父親は再婚。
伊東ゆかりさんは幼少期に母親がいなかったため小学生になってもスプーンでしかご飯を食べることが出来ず、箸の使い方は義母にしつけられたといいます。
父親はその後も離婚、再婚を繰り返し4度の離婚を経験しました。
芸能活動を始めたのは小学生の時で、5年生の頃には仕事で早退することもあり、その時は義母が伊東ゆかりさんの席で授業を聞きノートをとり、夜に授業を教えてくれたといいます。
そのことを学校で友達に、
『なぜお母ちゃんが来てお前来ないんだ?』
と言われるため伊東ゆかりさんは
『なんで出しゃばったことをするの!』
と猛烈に反抗したことがあったといいます。
しかし、その言葉を聞いた義母にたたかれ、それからはあまり反抗しなくなったそうです。
中学は立正中学校に入学。
立正中学校は東京都大田区に男女共学の私立中学。
中学時代も芸能活動をしていて、テレビ番組でツイストを踊ると先生に、
『尻を振って踊るなどけしからん』
毎日のように職員室に呼び出されて説教をされ、目立つことを避けようと収録の本番ではカメラから外れるように端にいくようになり、今度はテレビ局の人に怒られたそうです。
高校は関東学園女子高校に進学。
関東学園女子高校は現在の関東国際高等学校。
現在は共学です。
東京都渋谷区ある私立高校で現在の偏差値は52~55。
高校は中退はせず卒業しています。
伊東ゆかりが歌手になったきっかけ
伊東ゆかりさんが歌うようになったのミュージシャンだった父親の影響でした。
6歳の頃に父親のバンドをバックに東京の聖路加国際病院で歌ったのが最初の歌の記憶だといいます。
その歌う姿を見た父親のバンドのマネージャーが、
『この子はいける』
と思ったようでその後は米軍キャンプでも歌うようになりました。
米軍キャンプでは妻や子供を国に残してきた兵士を慰問するための『子供枠』というものがあり伊東ゆかりさんはその枠に入れられたといいます。
伊東ゆかりさんの歌う姿を見て、目を潤ませる兵士も多かったそうです。
ただ、棒立ちで笑いもせず歌うためあだ名は『ノースマイル』だったんだとか。
6歳から米軍キャンプで歌い、デビューが決まったのは11歳の時。
1958年6月、『かたみの十字架/クワイ河マーチ』で歌手デビューしました。
伊東ゆかり スパーク3人娘で全国区
伊東ゆかりさんはデビュー後、なかなかヒット曲にな恵まれず一時活動を休止しますが渡辺プロダクションに移籍し活動を再開。
同じ事務所の中尾ミエさん、園まりさんと三人で1962年4月から放送されたフジテレビ系音楽バラエティ番組『森永スパーク・ショー』で司会を務め、この番組がきっかけで『スパーク三人娘』を結成。
同年から女優としても活動し、音楽バラエティ『歌え!一億』で司会を務め、『シャボン玉ホリデー』などに出演したことで知名度を大きく上げました。
1963年末の第14回NHK紅白歌合戦にスパーク3人娘の名称は使われませんでしたが『キューティー・パイ・メドレー』と称して3人で出場。
翌年の1964年の紅白歌合戦にも3人で出場。
1965年に単独で出場し1992年までに11回出場しています。
スパーク三人娘は1965年頃に自然解散。
1967年2月にリリースした『小指の想い出』が大ヒット。
その後も『恋のしずく』『朝のくちづけ』など続けてヒットと飛ばし、1969年に第20回紅白歌合戦では赤組の司会も兼任しました。
1970年に渡辺プロダクションから独立。
翌年の1971年に誰も知らない」がヒットするもの花の中三トリオなどの後輩歌手の台頭もあり一時低迷。
しかし、1977年から1981年までメイン司会を務めたTBS系音楽番組『サウンド・イン”S”』がきっかけで再評価されました。
近年ではスパーク3人娘でツアーを行ったり、3人でテレビに出演もしています。
伊東ゆかりの結婚歴や夫は?
伊東ゆかりさんの結婚歴は1回。
1971年7月、24歳の時に結婚しました。
夫は俳優の佐川満男さん。
佐川満男さんは8歳年上。
俳優のイメージが強い佐川満男さんですが、紅白歌合戦に4回も出場した歌手で、1969年と1970年には紅白歌合戦で共演しています。
最初に出会った時は伊東ゆかりさんは学生で宿題をやっていて無愛想だったと佐川満男さんは話しています。
歌手の森山加代子さんに紹介されて2人は交際に発展。
マスコミに交際を騒がれた後に結婚したそうです。
伊東ゆかりのと夫の離婚理由
伊東ゆかりさんと佐川満男さんが離婚したのは1976年。
結婚生活は5年でした。
離婚の理由は家庭と仕事の両立が出来なかったこと。
伊東ゆかりさんは『仕事を辞められる』と専業主婦を希望していましたが、結婚後に父親が税金を滞納し差し押さえの書類が届いたといいます。
父親は打ち上げなどで豪快にお金を使う人で、税金分を残しておかなかったため滞納。
結婚したばかりで夫の佐川満男さん迷惑をかけるのはと思いキャバレーなどで歌い1年で全部払いました。
歌ったことで歌手魂が再燃し夫の佐川満男さんに相談し『ちゃんとできるなら』と同意してもらい歌手活動を再開。
『悲しいかな、自分に歌がある、歌で食べていけるという、かわいくないところ』
しかし、活動再開してみるとコンサートになると集中してしまい家庭との両立ができず、伊東ゆかりさんか離婚を切り出したといいます。
佐川満男さんは1988年に再婚しましたが、伊東ゆかりさんとの関係は良好で2001には2人でデュエット曲は発売し、2017年には徹子の部屋に一緒に出演しています。
伊東ゆかりの子供は娘で歌手?
伊東ゆかりさん子供は娘が1人。
1973年4月に生まれました。
名前は宙美(ひろみ)さん。、
離婚した時は3歳で、親権は伊東ゆかりさんが持ちました。
宙美さんは2002年12月に伊東ゆかりのアルバムに参加し、2007年6月にシングル『ふたりの小舟~The water is wide~』で歌手デビューしています。
以降は曲をリリースした情報はなくステージで母親の伊東ゆかりさんと共演しているようです。