静岡県出身の元競泳平泳ぎ選手・岩崎恭子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
水泳を始めたきっかけは?
ライバルは姉だった?
金メダル獲得後は解離性健忘症?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
今回は元競泳選手のの岩崎恭子さんをリサーチしてみました。
目次
岩崎恭子の学歴・生い立ち・経歴
名前 岩崎恭子
生年月日 1978年7月21日
出身 静岡県沼津市
身長 159cm
血液型 A型
小学校・沼津市立開北小学校
中学校・沼津市立第五中学校
高校・・日本大学三島高校
大学・・日本大学 文理学部
3歳年下の姉と2年下の妹がいる3人姉妹の次女で、実家は水道工事会社を経営。
両親のしつけは厳しく、お箸の持ち方や靴はそろえてないと怒られたといいます。
4歳の時に父親が白血病を患い、医師からは命の保証はできないと宣告されましたが、1年半の闘病の末、白血病に打ち勝ちました。
水泳を始めたのは5歳の時で、他にもピアノ、習字なども習っていました。
小学校は沼津市立開北小学校、中学校は沼津市立第五中学校を卒業。
中学2年生の時にバルセロナオリンピックに出場し、金メダルを獲得。
高校は日本大学三島高校に進学。
日本大学三島高校は、静岡県三島市文教町にある男女共学の私立高校で、現在の偏差値は48~61。
高校では水泳部に所属し、1年生と2年生の時には全国高校総体200メートル平泳ぎで優勝。
高校卒業後は、日本大学文理学部心理学科に進学。
現在の偏差値は58。
大学在学中の20歳の時に現役を引退しました。
岩崎恭子が水泳を始めたきっかけは?
『幼い頃は姉の真似ばかりしていたんです。水泳も姉が習 っていたので、姉の真似をして水泳をはじめました。』
引用https://athlete-live.com/
3歳年上の姉の敬子さんは小児喘息を患っており、喘息には水泳が効果的という話しを聞いた母親が敬子さんに水泳を習わせました。
幼い頃から姉の真似ばかりしていたという岩崎恭子さんも5歳から水泳を習い始めたといいます。
岩崎恭子 ライバルは姉だった?
姉の敬子さんは全国大会に4年生から出場し、6年生の時には優勝。
岩崎恭子さんも4年生の時に初めて全国大会に出場し、身近に姉といういい目標があったと話しています。
敬子さんは高校1年生の時ににインターハイで平泳ぎ100m・200mの2冠を達成。
岩崎恭子さんも中学1年生で全国中学校選抜大会し、姉妹でバルセロナオリンピックの候補選手で、女子200m平泳ぎのオリンピック出場枠は2つで、大本命は粕谷恭子さんで残りの1枠を姉妹で争うことになりました。
1992年4月のバルセロナオリンピック代表選考会で、1位は粕谷恭子さん、2位が岩崎恭子さんで、敬子さんは4位にとなり、13歳だった岩崎恭子さんが代表に選ばれました。
岩崎恭子 、バルセロナオリンピックで金メダル獲得後は解離健忘症?
岩崎恭子さんは14歳で出場した、バルセロナオリンピックで金メダルを獲得しましたが、大会前の同種目世界ランキングで14位で、日本人選手最年少という点以外は全く注目はされてなく、本人も大会前のインタビューで、
『決勝に残れればいい方だと思います。』
と語っていました。
しかし、予選では当時の日本記録を2秒以上更新する2分27秒78の日本新記録を出し、当時の世界記録保持者で優勝候補のアニタ・ノール選手に次ぐ2位で決勝に進出。
決勝では同世選手をゴール寸前で逆転し、当時の五輪新記録&自己の生涯ベスト記録の2分26秒65でゴールし金メダルを獲得。
試合後にインタビューでは、
『今まで生きてた中で、一番幸せです。』
とコメントして話題となりました。
しかし、金メダル獲得後は、取材はもちろん家から一歩出ると多くの人の視線にさらされ、学校の行き帰りには、見知らぬ人に何度も後を付けられるなど生活は一変。
知らない人に『14年しか生きていないのに何が分かる』などと言われたこともあったといい、思春期になったばかりだった岩崎恭子さんは、『金メダルなんてとるんじゃなかった』と思ったこともあったといいます。
高校生の時には2年間、叩かれすぎて極度に強いストレスにより過去を思い出せなくなる『解離性健忘症』にもなり、そんことがきっかけで、大学では心理学を専攻。
1996年アトランタオリンピックの代表選考会を兼ねた同年の日本選手権女子100m平泳ぎで2位に入り、五輪出場権を獲得し、オリンピックに出場しましたが、200m平泳ぎで10位、100m平泳ぎは予選落ちに終わりました。
1998年に闘争心の喪失を実感し、9月の日本学生選手権水泳競技大会を最後に、20歳の若さで現役を引退しました。
岩崎恭子の結婚歴や夫は?
岩崎恭子さんが結婚したのは2009年4月、30歳の時でした。
結婚相手はラグビー元日本代表の斉藤祐也さん。
斉藤祐也さんは1977年4月28日生まれで、1歳年上。
東京高校2年生の時に高校日本代表に選出され、全国高校選手権大会(花園)にも初出場。
明治大学4年生の時には主将を務め、卒業後の2000年にサントリーに入社。
2002年には、フランス1部リーグ・USコロミエに移籍し、日本人初のプロ契約選手となりました。
2003 – 2004年シーズンには神戸製鋼とプロ契約を結び、トップリーグ設立初年度の優勝に貢献。
2005-2006年シーズンを最後に一度は現役を引退しましたが、2007年、豊田自動織機に加入し、現役に復帰し、2009年には豊田自動織機がトップリーグ昇格を果し、2012シーズン限りで現役を引退。
引退後は子供向けスポーツ教室の『株式会社コーディネーション・アカデミー』を設立しています。
馴れ初めは共通の友人の紹介で、岩崎恭子さんが27歳、斉藤祐也さんが28歳の時に出会ったといいます。
約4年の交際期間を経て結婚しました。
岩崎恭子と夫の離婚離由は?
岩崎恭子さんは斉藤祐也さんが離婚したのは、結婚9年目の2018年11月。
離婚の理由につていは語られていません。
離婚協議中の2018年には、週刊誌SmartFLASHで、岩崎恭子さんと50代の男性と手をつなぎ散歩デートを楽しんでる姿が報じられていました。
『報道内容の詳細までは確認できておりませんが、私がこの男性と恋愛関係にあったことはおおむね相違ありません』
離婚発表時には、報道が事実であることを認めています。
岩崎恭子の子供は何人?
岩崎恭子さんの子供は娘が1人。
2011年3月に誕生しました。
『娘が11歳になったので、やっと「ママ、(ゴルフに)行ってくるね」って言ってでかけられるようになったんですよ。』
引用 https://news.audee.jp/
2022年9月のラジオ番組で、娘が11歳になったと話しています。