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梶芽衣子の結婚歴や夫、子供は?デビューしたきっかけや学歴・経歴

映画「女囚さそりシリーズ」やヒットした主題歌の「恨み節」で知られる女優の梶芽衣子さんの学歴や経歴は?

女優デビューしたきっかけは?

結婚歴や夫、子供は?

今回は女優の梶芽衣子さんをリサーチしてみました。

梶芽衣子の学歴・生い立ち・経歴

名前   梶芽衣子
生年月日 1947年3月24日
出身   東京都千代田区神田
身長   163cm
血液型  AB型

父親、母親、3人兄弟の5人家族。父親は和食の料理人で料理店を経営。

その後、アメリカのテレビ局に招かれ、アメリカに渡りテレビ番組で料理を教えていました。

梶さんは父親がアメリカから送ってくれる、当時の日本では入手が難しかったチョコレートやガムが楽しみだったといいます。

父親は帰国後は、同業者からアメリカ帰りをねたまれたことに嫌気が差し、自身の店をたたみ食のコンサルタントに転身しました。

弟は父親と同じ料理にになり、ハワイに行った時にある店で「父親に世話になった」という人に声をかけられ、父親が教えたウナギのタレや照り焼きが残っていることを聞いて驚いたといます。

中学校は品川区立荏原第六中学校に入学。

幼少期は引っ込み思案で人見知り、初めての人が怖くて家にお客さんが来てもあいさつができないほどだったといい、そんな梶さんを心配した両親の勧めで、中学時代はバスケットボール部に入部。
バスケ部の体育会系の中で過ごし、友達を作る楽しさを味わい、性格も変わっていったといいます。

高校は八雲学園高校に進学。
東京都目黒区八雲二丁目にある男女共学の私立高校で偏差値は58。
男女共学になったは2021年からでそれまでは女子校でした。
高校時代もバスケットボール部に所属。

高校卒業後は大学などには進学せずに、芸能界の道に進みました。

梶芽衣子が女優デビューしたきっかけは?

梶芽衣子さんの芸能界入りのきっかけはスカウト。

高校在学中に銀座でスカウトされ、モデルの活動を始めました。
学校は休まず日曜だけのアルバイト感覚で、デパートのカタログや雑誌でモデルを務め、17歳の時に元NHKアナウンサーだった高橋圭三さんの事務所に所属。
1965年に高橋圭三さんが司会を務めるクイズ番組『おのろけ夫婦合戦』のアシスタントを務めたところスカウトされ、高校卒業と同時に映画会社の日活の女優として入社しました。

先輩女優にたんかを切って「生意気」のレッテルを貼られる

1965年に日活に入社し、同年3月、本名の太田雅子で映画『悲しき別れの歌』の脇役で女優デビュー。

同年5月に俳優の太田寛之さんと『W太田』として青春スター売り出され、映画『青春前期 青い果実』で初主演を務めました。

しかし、セリフをスタジオで録音するアフレコを初めて経験した時に、失敗を連発しその場に座りこんでしまったところ、先輩女優に嘲笑を浴びせられ、かっとした梶さんは先輩女優に、

『笑わないでください。あなたたちは初めからこれができたんですか!』

とたんかを切ったといい、その噂は武勇伝として撮影所に広まり、依頼『生意気』とのレッテルを貼られ、最初は吉永小百合さんの後継者とも言われましたが、1年目以降は脇役にまわされたといいます。

梶芽衣子 さそりシリーズでブレイク

1969年に任侠映画『日本残侠伝』出演した際、監督のマキノ雅弘さんの命名で芸名を梶芽衣子に改名。

すると、翌年の1970年に映画『野良猫ロックシリーズ』4作に主演し人気を獲得。

同年からテレビ時代劇『大江戸捜査網』(テレビ東京)でも芸者で密偵の小波役レギュラー出演しています。

1971年に日活がロマンポルノ路線に転換しため23歳で退社し、フリーでの活動を経て、1972年3月に東映に入社。

人気が決定的になったのは、1972年8月公開の主演映画『女囚701号/さそり』の松島ナミ役でした。

最初は断りましたが、プロデューサーに「家に帰って読んでみて」と言われ読んでみると、無口なナミの凄みが面白いと感じ、梶さんは

『セリフがあるならやりません。二つに一つです』

と伝えると、2週間後に「セリフなしで撮る」と決まったそうです。

映画は大ヒットし、1973年まで4作が公開され、梶さん自身に歌った主題歌『怨み節』も37万枚を売り上げるヒットとなりました。

しかし、『女囚さそり』のシリーズ化で揉めて同年に東映を退社し再びフリーで活動。

同年12月には東宝映画『修羅雪姫』に主演。翌年には続編も制作されました。

1978年には主演映画『曽根崎心中』で、

ブルーリボン賞 主演女優賞
キネマ旬報ベスト・テン 主演女優賞
毎日映画コンクール 女優演技賞

など多くの演技賞を受賞しました。

以降はドラマを中心に活動しています。

梶芽衣子の結婚歴や夫、子供

梶芽衣子さんは結婚歴は1度もなく独身を貫いていて、夫、子供はいません。

『20代半ばを過ぎたころ、ご縁があって、ある方と婚約しました。結納を交わしたときは、「女囚さそり」を撮り終え、一段落ついていたころ。あのとき、結婚していれば、引退して平凡な家庭を築き、普通のお母さんになっていたと思います。』

1972年に映画『女囚さそり』の撮影をしていた時には、大手レコード会社のディレクターとの縁談があり婚約もしていて、結婚後は俳優を辞め、家庭に入ることも決めていました。

映画が思いのほか大ヒットしたため、続編の出演を依頼され最初は断りましたが、説得され続編に出演。

その後も、多くの関係者の説得を受け続編に出演したことで、縁談は最終的に破談になったといいます。

別れる際に相手に、

『誰とも結婚するな。死ぬまで仕事は辞めるな』

と言われてうなずいたといい、その「責任感」と「誠意」で独身を貫いたと話しています。

ただ。子供を産まなかったことは残念に思っているといい、子供は大好きで俳優になっていなければ保育士になっていただろうと話しています。

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