兵庫県出身の上沼恵美子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
芸能界入りしたきっかけは?
結婚や夫は?
子供は何人?
今回はタレントの上沼恵美子さんについてリサーチしてみました。
目次
上沼恵美子の学歴・生い立ち・経歴
名前 上沼恵美子
生年月日 1955年4月13日
出身 兵庫県
身長 164cm
所属 上沼事務所
小学校・南淡町立福良小学校
中学校・南淡町立福良中学校
高校・帝国女子高校大和田校
大学・大学には進学していません
兵庫県の淡路島にある三原郡福良町出身。
現在は南あわじ市です。
父親は銀行員。
姉と兄がある3人兄弟の末っ子。
小学校は南淡町立福良小学校、中学校は南淡町立福良中学校を卒業。
子供の頃から歌が上手く、数々のちびっこのど自慢大会に出場し、『のど自慢荒らし』と呼ばれていました。
1歳年上の天童よしみさんとはライバルで、チャンピオン大会で対決しましたが、勝てなかったそうです。
中学時代はバスケットボール部に所属。
高校は帝国女子高校大和田校に進学。
帝国女子高校大和田校は現在の大阪国際高校。
2002年から男女共学になっています。
大阪府守口市松下町にある私立高校。
現在の偏差値は58。
高校時代に芸能界入りし、後に高校は中退しました。
上沼恵美子が芸能界入りしたきっかけは?
『お笑い芸人になるつもりはなかった。嫌で嫌で仕方なかったんです。今でこそ芸人はスター扱いですけど、私たちがデビューした頃は「笑いもの」。うら若き乙女が好き好んでやる仕事じゃない。銀行員だった父が夢を諦めきれず、娘2人を芸能の道に送り込んだのです。』
引用 https://bunshun.jp/
上沼恵美子さんの4歳年上の姉が漫才でビューすることが決まっていましたが、相方がデビュー前に失踪。
そのため、父親に勧められ上沼恵美子さんが急遽相方を務めることになり、1968年4月に大須演芸場の舞台に立ちました。
当時13歳でした。
子供の頃から各地ののど自慢大会を荒らしまわって、歌手志望だった上沼恵美子さんは漫才はやりたくなかったそうです。
上沼恵美子 海原千里・万里で芸人デビュー
高校入学後、1971年に姉妹漫才コンビ『海原千里・万里』としてデビュー。
上沼恵美子さんは千里でボケ担当でした。
同年に上方お笑い大賞銀賞を受賞。
高校生ながら巧みな話術で一躍スターになりました。
1973年に『幼なじみでおないどし/いつもの散歩道』をリリースし海原千里・万里として歌手デビュー。
1975年にリリースした『大阪ラプソディー 』は40万枚を超えるヒットを記録。
現在でも大阪を歌ったご当地ソングの中で最も人気のある曲の一つだといいます。
1977年に上沼恵美子さんがが結婚したたため、コンビを解消。
芸能界も引退しました。
上沼恵美子 東京進出しない理由
『自分には専業主婦は耐えられなかった』
1978年に上沼恵美子として芸能界に復帰。
復帰時に夫と仕事をする範囲を『西は姫路、東は京都まで』と約束しこれを守り東京には進出していません。
関西圏だけでの活動ですがレギュラー番組も多く、2003年の長者番付では俳優・タレント部門で17位。
推定年収は2億円ともいわれています。
16位は明石家さんまさんで、18位は志村けんさんでした。
上沼恵美子の結婚や夫は?
上沼恵美子さんが結婚したのは1977年。
22歳の時でした。
夫は元関西テレビプロデューサーの上沼真平さん。
年齢は8歳年上。
馴れ初めは『ドキドキ・パンチ』という番組。
『低視聴率やったんですけど、ディレクターとタレントがドキドキパンチになったんです』
海原千里・万里で司会を務めたその番組のディレクターが上沼真平さんでした。
上沼恵美子の子供は何人?
上沼恵美子さんの子供は息子が2人。
長男が1978年4月、次男が1983年5月に誕生しました。
長男は上沼恵美子事務所のスタッフ、次男はゆじぇーろという名前で構成作家をしています。