京都出身の元漫才師、元司会者、元タレント・上岡龍太郎さん。
生い立ち、経歴や高校・大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
引退理由や年齢は?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は元タレントの上岡龍太郎さんをリサーチしてみました。
上岡龍太郎の学歴・生い立ち・経歴
名前 上岡龍太郎
生年月日 1942年3月20日
出身 京都府
身長 165cm
血液型 AB型
所属 米朝事務所
小学校・京都市立第四錦林小学校
中学校・京都市立近衛中学校
高校・・京都西高校
大学・・大学には進学していません
京都府京都市左京区出身。
本名は小林 龍太郎。
父親は京都帝国大学法学部卒業の弁護士。
民権派弁護士で、第22回衆議院議員総選挙と第23回衆議院議員総選挙に共産党公認候補として出馬しましたが落選しています。
母親は上岡龍太郎さんが小学4年生の10歳の時に乳癌のために他界。
後に父親は再婚しています。
兄弟は4歳年上の姉と異母妹。
異母妹は弟漫才コンビ『ミキ』の母親。
生後間もなくから、5歳まで母親の実家の宮崎県延岡市に疎開。
小学校は京都市立第四錦林小学校、中学校は京都市立近衛中学校を卒業。
高校は京都西高校を卒業。
京都西高校は2001年に京都外大西高校に校名が変更されています。
京都府京都市右京区にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は40から58。
上岡龍太郎さんは1期生として入学しました。
高校時代に立命館大学を受験しましたが不合格。
大学進学は断念しました。
上岡龍太郎のデビューのきっかけは?
母親は教育熱心で良い顔をしませんでしたが、上岡龍太郎さんは香具師や芝居、歌舞伎や映画にが大好きで、子供の頃の夢は芝居役者でした。
高校在学中に当時東京に進出していたラジオパーソナリティ浜村淳さんに弟子入りを懇願しましたが断られ、浜村淳さんのの紹介でロカビリーバンド「田川元祥&リズムワゴンボーイズ」に加入。
高校卒業後に京都でバンドボーイ、ジャズバンドの司会などを経験。
軽やかなしゃべりで有名になったといいます。
1960年に横山ノックさんのの誘いで、横山フックさんらと『横山パンチ』の芸名で『漫画トリオ』を結成しました。
上岡龍太郎のデビュー後
1968年に横山ノックさんの参議院議員選挙出馬により、漫画トリオは活動を停止。
一時期、『伊井パンチ』と名乗って活動しましたが、、婿養子だった父の旧姓を取って上岡龍太郎と名乗るようになりました。
1970年代には近畿圏の放送局や中部日本放送でもレギュラー番組を獲得し、近畿圏と中京圏を拠点に活動。
1984年に『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演し、1987年4月には『鶴瓶上岡パペポTV』(読売テレビ)が放送開始。
翌年の1988年10月からキー局の日本テレビでも放送開始され、東京に進出。
46歳の時でした。
同年3月から『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)が放送開始され、初代局長を務めました。
上岡龍太郎の引退理由や年齢は?
上岡龍太郎さん引退の2年前から、
『俺は、芸能生活40周年を迎える2000年の春になったら完全に隠居する!』
と公言しており、その通りに芸能界を引退。
年齢は58歳でした。
引退後にはロゴルファーになるとも宣言し、実際に米サンディエゴのゴルフアカデミーにも留学していますが、これは実現しませんでした。
引退の理由についてひとつは、新幹線に乗っていた時、若手タレントが翌日に共演するとういのであいさつに来た際に、
『明日よろしくお願いします』
と互いに言葉を交わしたものの、その後に会話が続かず、しかたなく
『あ~、ほんならよろしく』
と言ってわかれたたそうです。
その時にに上岡龍太郎さんは、自分が若い頃に大物タレントあいさつに行き、自慢話を聞かされることが嫌いでそのことを思い出して、自分もそんな大物と同じような存在になってしまったのではないかと思ったそうです。
引退を公言した際には、
『ボクの芸が通用するのは20世紀まで』
『落語や講談と違って、テレビの場合は年を取ったら老醜をさらすだけ』
などもと明かしています。
上岡龍太郎の結婚歴や妻は?
上岡龍太郎さんが結婚したのは1969年。
27歳の時の結婚でした。
『僕の場合は,うちのやつが13歳の時に「僕はこの子と結婚する」と,ピッと青い光りが走って.』
引用 https://www.fujitv.co.jp/
妻の名前は友岐子さん。
友岐子さんは上岡龍太郎さんが『横山パンチ』時代からのファンで、出会った時、上岡龍太郎さんは21歳、友岐子さんは中学2年生だったそうです。
出会ってから、『君は僕と結婚する』『君は僕の奥さんになる』と言い続けて口説き、友岐子さんが19歳の時に結婚したそうです。
上岡龍太郎の子供は何人?
上岡龍太郎さんの子供は1人のようです。
子供は息子。
1971年3月に誕生。
名前は小林聖太郎さん。
映画監督をしてます。
1994年に関西大学法学部政治学科を卒業後、ジャーナリスト・今井一の助手を務め、『阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか』『大事なことは国民投票で決めよう』などの取材、執筆に関わりました。
1998年からは、ドキュメンタリー映画の助監督を務め、2006年、大阪・十三の映画館第七藝術劇場の復活記念DV作品『かぞくのひけつ』で劇場公開作デビューを果たしました。
2015年には松坂桃李さん主演映画『マエストロ!』、2019年には倍賞千恵子さんと藤竜也さんが夫婦役を演じた『初恋~お父さん、チビがいなくなりました』の監督を務めました。