大阪府出身の演歌歌手・川中美幸さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
演歌歌手になったきっかけは?
結婚や夫は?
子供はいる?
今回は演歌歌手の川中美幸さんについてリサーチしてみました。
目次
川中美幸の学歴・生い立ち・経歴
名前 川中美幸
生年月日 1955年12月5日
出身 大阪府
身長 158cm
血液型 B型
所属 美幸ミュージックプロモーション
高校・・小松川高校
大学・・大学には進学していません
鳥取県米子市で生まれ、3歳の時に大阪府吹田市に移りました。
兄弟は兄。
大阪に移って間もなく、父親が交通事故を起こし、保険も1日違いで期限切れ。
その後、父親は調を崩し、母親が事故の賠償金と生活費たったを一人で担い、狭いアパートに家族で暮らし生活は貧しかったといいます。
中学卒業後に歌手デビューを目指しため上京。
高校は小松川高校・定時制に進学。
小松川高校は東京都江戸川区平井にある男女共学の都立高校。
現在の偏差値は66。
高校卒業後は、大学などには進学せず、演歌歌手の道に進みました。
川中美幸が演歌歌手になったきっかけは?
『中学2年のとき、作詞家・もず唱平にスカウト』
引用 https://wendy-net.com/
川中美幸さんの父親は三波春夫さん、母親は美空ひばりさんのファンで、物心ついた頃から演歌が流れている家庭だったそうです。
小学校3年の時に家族で遊びに行った東大阪市の石切ヘルスセンターで、『ちびっこのど自慢大会』に飛び入り参加。
司会者の呼びかけに、父親が『出ろ、出ろ』とけしかけ、川中美幸さんは人前で歌うのは恥ずかしかったものの、当時は父の言うことは絶対で泣く泣く参加したそうです。
都はるみさんの『馬鹿っちょ出船』を歌い、結果は優勝。
副賞に、電気鉛筆削り付き勉強机をもらったそうです。
当時、生活は貧しく川中美幸さんは自分の勉強机を持っていなかったといいます。
以降、父親に関西にで開かれるのど自慢によく連れて行かれるようになり、賞金、8ミリビデオ、テレオセット、化粧品などを獲得。
中学2年生の時に作詞家のもず唱平さんにスカウトされました。
中学卒業と同時に父親と上京し、定時制高校に通いながら歌手を目指しました。
川中美幸 デビュー後、帰郷
上京の1年後、1973年6月に『新宿天使』をリリースし歌手デビュー。
当時の芸名は春日はるみ。
17歳でのデビューでした。
同期は山口百恵さん、アグネス・チャンさん、桜田淳子さんでアイドル全盛時代。
演歌歌手にはなかなかスポットライトは当たらず、翌年にもシングルをリリースしましたが売れることはなく、気持ちが折れて大阪に帰りました。
川中美幸 再デビューでミリオンセラー
大阪では母親がお好み焼き屋を経営していて、その店を手伝っていましたが、『ネオン街音楽祭』という大会に熱心に誘われ、母親にも背中を押され19歳の時に出場。
約650人の応募者のなかからグランプリを受賞し、1977年4月『あなたに命がけ』で川中美幸として再デビュー。
21歳の時でした。
1980年に文化放送の深夜放送『走れ!歌謡曲』のパーソナリティーに局アナ以外で初めて抜擢。
これがきっかけで1980年3月にリリースした『ふたり酒』がミリオンセラーを記録し大ヒット。
1981年に第32回NHK紅白歌合戦に初出場。
紅白歌合戦には2011年までに、累計24回出場しています。
川中美幸の結婚や夫は?
川中美幸さんが結婚したのは1991年。
36歳の頃の結婚でした。
夫は関西テレビのディレクターだった山田一雄さん。
年齢は3歳年下。
出会ったのは中国でのコンサートの仕事。
川中美幸さんの母親とも仲良くなったことが決めてになり結婚したそうです。
川中美幸に子供はいる?
川中美幸さんに子供はいないようです。
『私にも兄にも子どもがいませんからね。私たちがこの世を去ってしまったら、誰がお墓を守ってくれるのだろうか?』
引用 https://fujinkoron.jp/
子供は望んでいたそうで、悩んで不妊治療もしたと話しています。