ミュージカル、舞台を中心に俳優として活躍する川崎麻世さんの学歴や経歴は?
アイドルデビューしたきかっけは?
ミュージカル俳優として活躍したきっかけは?
元妻のカイヤさんとの馴れ初め、や子供、離婚の理由は?
今回は俳優の川﨑麻世さんをリサーチしてみました。
川﨑麻世の学歴・経歴
名前 川﨑麻世
生年月日 1963年3月1日
出身 大阪府枚方市
身長 182cm
血液型 B型
所属 プラチナムプロダクション
父親、母親、の3人家族。兄弟はなく一人っ子です。
父親は京都松竹の映画俳優だった安住譲さん。
両親の故郷に京都府京都市で生まれましたが、1歳の時に両親が離婚。
離婚後は母親に引き取られ、大阪府枚方市に移り、祖父母と共に暮らしました。
実家は母親の経営する喫茶店「コハク」。
小学校は枚方市立枚方小学校を卒業。
小学生の頃は肥満児でした。
中学校は枚方市立枚方中学校に入学しましたが、芸能活動を始めて上京。
練馬区立石神井中学校に転校し、親戚の親戚のプロカメラマン・島津久純さんの家に下宿しながら通いました。
高校は 堀越高校・芸能活動コース(現・トレイトコース)に進学。
東京都中野区中央にある私立高校で、現在の偏差値は38。
同級生には浜田朱里さん、香坂みゆきさんがいました。
高校卒業後は、 東京工芸大学短期大学部・画像技術科グラフィックデザインコースに進学。
東京都中野区本町にあった私立の短期大学で、カメラ技術などを学べる短大でしたが、東京工芸大学がに芸術学部が設置されたため、1997年に廃止になっています。
1983年に卒業しました。
川﨑麻世がアイドルデビューしたきっかけ
川崎麻世さんがデビューしたのはスカウトがきっかけでした。
中学1年生、12歳の時によみうりテレビのバラエティ番組『プリン・キャッシーのテレビ!テレビ!!』の素人参加コーナー「パクパクコンテスト」に出場。
番組で西城秀樹さんのフリマネをして、グランドチャンピオンに輝きました。
この番組を見たジャニー喜多川さんにスカウトされ、1976年に上京。
1977年1月に『ラブ・ショック』をリリースしアイドル歌手デビュー。
同期は太川陽介さん、榊原郁恵さん、大場久美子さんなどがいます。
これといったヒットはありませんが、ブロマイドは売り上げが1978年から2年連続で1位になり、NHKの人気音楽番組『レッツゴーヤング』に「サンデーズ」のメンバーとしても起用され、人気アイドルとして活躍。
高校時代には通学時に多くの女の子がついてきて、プレゼントやファンレターで毎日カバンはパンパンだったそうです。
ミュージカル俳優になったきっかけ
1980年代に入ると後輩のたのきんトリオが登場し、アイドルとしての存在が薄くなり、川崎さんを舞台俳優として育てたかった事務所の以降で、全ての諸経費は事務所持ちでミュージカルを学ぶためにニューヨークにへ留学。
帰国後の1983年にからは劇団四季『キャッツ』など舞台俳優として活躍しました。
その後、再び渡米し海外で活動、1988年11月から1989年1月のミュージカル『スターライト・エクスプレス』には唯一の日本人キャストとして、新幹線・ハシモト役で出演。
1994年から1996年までははミュージカル『ピーター・パン』でフック船長 役を演じました。
ドラマでは2時間ドラマなどに出演し、2023年には3本の出演映画が公開されています。
川﨑麻世とカイヤの馴れ初めや子供
川崎麻世さんが1歳年上のモデルカイヤさんと結婚したのは、1990年、27歳の時でした。
カイヤさんはアメリカ・シカゴ出身で、1983年、19歳の頃から「キャロリン・ハイガー」名義でファッションモデルとしてアメリカだけでなく、イタリア、フランス、ドイツ、日本などでも活躍。
日本では1987年にユニチカスイムウェアキャンペーンモデルを務めました。
馴れ初めは1987年のマイケル・ジャクソンさんの来日パーティーでした。
パーティーでカイヤさんは、酔っ払ったマイケル・ジャクソンさんのバックバンドのメンバーにしつこく口説かれて、腕を引っ張られていると川崎さんが助けてくれたそうです。
これがきっかけで交際に発展しました。
子供は娘と息子の2人で、1990年に長女の恵斗(けいと)さん、1996年に長男の至恩(しおん)さんが生まれました。
川﨑麻世とカイヤの離婚理由
川崎麻世さんとカイヤさんは離婚問題でワイドショーを賑わせましたが、きっかけは1993年の川崎さんと斉藤由貴さんの不倫報道でした。
川崎さんは謝罪会見を開き、そこにカイヤさんも同席。会見中、カイヤさんは川崎さんを睨みつけていたことで、鬼嫁のイメージが定着しました。
その後も川崎さんと別な女性との噂が報じられ、カイヤさんが自宅の鍵を交換して川崎さんは車で寝泊りしていることを明かし、2000年頃からは別居状態になっていました。
別居後も離婚はせず、離婚しない理由について川崎さんは2012年5月ブログで、
『離婚するよりも 距離を置くことで以前よりお互い夫婦のよい部分も見えてきたり たわいもない事で相談しあったり まあ変な夫婦だと言えば変な夫婦かも』
と綴っていましたが、その後、関係は悪化し、2018年10月に川崎さんは離婚裁判を行っていることを明かしました。
翌年の2019年にはカイヤさんが慰謝料2000万円を求めて反訴し泥沼化。
2020年2月には東京家裁で離婚を認める判決を下されましたが、カイヤさんは控訴。
2023年9月に東京高裁で棄却され、カイヤさんが上告しなかったため判決は確定し、5年かけて離婚が成立しました。