時代劇ドラマ「銭形平次」の妻役を長く演じた女優の香山美子さんの経歴や学歴は?
女優デビュ-したきっかけは?
結婚した夫との馴れ初めや子供?
今回は女優の香山美子さんをリサーチしてみました。
香山美子の学歴・経歴
名前 香山美子
生年月日 1944年1月1日
出身 東京都練馬区
身長 160cm
血液型 O型
所属 プランニング・メイ
父親、母親、弟、妹の5人家族。本名は渡辺明子(旧姓は岩本)。
父親は吉本興業の文芸部長を務めた岩本正夫さん。
を
小学校は三鷹市立第五小学校に入学。
小学生の時には国語の朗読が好きでした。
中学校は練馬区立上石神井中学校を卒業し、高校は富士見高校に進学。
東京都練馬区中村北四丁目にある1924年4月に女学校として創立された私立の女子校。
2011年には完全中高一貫制になり、現在は高校の生徒募集はありません。
卒業生には女優の生田智子さん、アナウンサーの深澤里奈さん、宮澤智さんなどがいます。
高校卒業後は大学などには進学せず、女優として松竹に入社しました。
香山美子が女優になったきっかけ
香山美子さんは子役でデビューしました。
小学6年生の時に児童劇団「こまどり」に入団し、子役としてNHKのドラマや民芸の教育映画に出演。
高校在学中の1961年に、映画会社の松竹と航空会社のエールフランス共催の第1回ミス・エールフランスコンテストに応募。
同コンテストで準ミスを獲得したことから、高校卒業後の1962年に松竹に入社。
同時に俳優座の養成所にも入所しました。
銭形平次の女房役
松竹に入社後、『七人の刑事』、『危ない橋は渡りたい』などいくつかの映画で助演を務め、1964年公開の『にっぽんぱらだいす』では主演を務め、同映画の演技で、
製作者協会・新人賞
を受賞し、岩下志麻さん、倍賞千恵子さんに次ぐ松竹女優として認められました。
1965年から1970年にかけては、メロドラマ、青春映画で活躍。
1970年からは時代劇ドラマ『銭形平次』で平次の妻・お静役(3代目)を演じ、1984年まで14年間出演。
2009年公開の映画『島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん』では主演・がばいばあちゃん役を演じました。
香山美子の結婚歴や夫との馴れ初め
香山美子さんが結婚歴は1度。結婚したのは1973年5月、29歳の時でした。
夫は1歳年上で、歌手の三條正人さん。
三條さんは法政大学在学中ににコーラスグループを結成し、ダンスホールでプロ歌手としての活動を開始。
1967年に鶴岡雅義さんに請われ、男性歌謡コーラスグループ『鶴岡雅義と東京ロマンチカ』のリードボーカルとして加入。
同年9月のデビュー曲『小樽のひとよ』は累計売り上げ150万枚を超える大ヒットとなり、翌年の1968年からは6年連続で紅白歌合戦に出場しました。
馴れ初めはフジテレビで放送されていたトーク番組『ラブラブショー』での共演。
『きっかけは民放の「ラブラブショー」に出演。その後何となくゴルフに行きましょうとか、という風になりました。』
1971年12月に共演し、交際をスタートさせました。
『甘い歌を歌う割には、真逆で夫は非常に男っぽい人でした。』
三條さんは約2年の闘病の末に、2017年10月に悪性リンパ腫のため、74歳で亡くなりました。
香山美子の子供は何人?
香山美子さんの子供は息子が1人のようです。
『子供は結婚10年目の子だけれど、或る時「一緒に時を過ごしたのは1年ぐらいだった。」と言われて、お互い忙しくてしみじみ夫婦だと思ったことはなかったです。』
息子は結婚10年目の1983年に、39歳で出産しました。