青森県出身の女優・木野花さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供はいる?
今回は女優の木野花さんについてリサーチしてみました。
木野花の学歴・生い立ち・経歴
名前 木野花
生年月日 1948年1月8日
出身 青森県
身長 160cm
血液型 A型
所属 吉住モータース
高校・・青森西高校
大学・・弘前大学教育学部美術学科
宮城県仙台市生まれ、青森県育ち。
両親が5歳の時に離婚し、母親に引き取られれ、母親の実家の青森県に引っ越しました。
青森では働きに出かけた母親をひとり家で待つという生活。
母親には厳しく育てられたそうです。
小学校に入ると母親の実家に預けられました。
母親の実家は海と山に囲まれた小さな村いあり、遊び場は大自然。
街から引っ越してきた木野花さんには、自然が物珍しく、木に登ったり海に潜って貝をとったり、野原を駆けまわったりしていたといいます。
高校は青森西高校に進学。
青森西高校は青森県青森市新城平岡にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は53。
男女共学になったのは1996年からで木野花さんが通っていた時は女子校でした。
当時は女は結婚していい奥さんになるのが幸せだという時代でしたが、高校2年生の時に赴任してきた政治経済の先生が、男女平等を授業で実践してくれたことで勉強するようになり、成績は急上昇したそうです。
大学は弘前大学教育学部美術学科に進学。
大学時代は彫塑で粘土を練って彫刻を制作。
美術教師の教員免許も取得し、大学卒業後は中学校の美術教師になりました。
大学時代には絵を描きたいときに描き、酒を飲みたいときに飲み、授業をサボり、その日に好きなことをして暮らすという生活をしていたこともあり、教師になっても適応できず、胃炎や偏頭痛に苦しみんだといいます。
医者に『ストレス』と診断され、1年で退職しました。
木野花が女優になったきっかけは?
『演劇をやろうと思いついたのは勘です。そこは、自分を解放できる自由な場所だと嗅ぎつけたんだと思います。』
引用 https://dot.asahi.com/
美術教師に挫折し、社会性のない自分を変えたいと思っていた時に、ふと見つけたのが、雑誌『美術手帖』で特集されていた『アングラ演劇』特集でした。
『これだ』
と感じて、23歳で上京し養成所に入所。
当初はコミュニケーションをとって社会性を身につけようという狙いもあり、普通に人と接することができるようになったら、教師に戻れるかもしれないと考えていたそうです。
木野花 劇団青い鳥を旗揚げ
舞台に立った頃はここが自分の居場所だという実感はまったく起きませんでしたが、やるからにはとことんやってそれでダメなら諦めようと演劇を続けました。
自主公演の計画を立て、男女8人ほどが賛同してくれましたが、その後、男性陣が木野花さんや女性陣の提案をことごとく否定する事態になったといいます。
理由は、
『女の考えだから』
だったといい、木野花さんはショックを受けました。
改めてメンバーを募ると集まったの女性だけでした。
1974年に女性5人で『劇団青い鳥』を結成。
『劇団青い鳥』は上手くいき、アングラ演劇ブームの代表的存在となりました。
木野花 タンスにゴンのCMに出演
1986年に劇団を退団。
同年にた金鳥ゴンのCMに出演。
CMの『亭主元気で留守がいい』のセリフが新語・流行語大賞の銅賞を受賞したことで注目され、共演したもたいまさこさんと雰囲気が似ていることでも話題になりました。
その後は、は劇団☆新感線の公演に参加し、テレビ、映画ではバイプレーヤーとして活躍。
2018年9月公開の映画『愛しのアイリーン』で演技で、
第92回 キネマ旬報ベスト・テン 助演女優賞
を受賞しました。
木野花の結婚歴や夫、子供は?
木野花さんの結婚歴は3回のようです、
離婚歴の3回で、現在は独身のようです。
2014年3月に『ボクらの時代』に出演し歳に、
『もう結婚する気がない』
と話しています。
木野花さんに子供がいる情報はありませんでした。