大阪府出身の木下ほうかさん。
経歴や高校、大学などの学歴は?
結婚歴はなく独身?
格闘技は空手をやっていた?
今回は俳優の木下ほうかさんをリサーチしてみました。
木下ほうかの高校、大学などの学歴・経歴
名前 木下ほうか
生年月日 1964年1月24日
出身 大阪府大東市
身長 173cm
所属 株式会社カクタス
中学校・大東市立四条中学校
高校・野崎高校
大学・大阪芸術大学芸術学部
本名は木下鳳華。
父親は一級建築士で建築事務所を経営。
実家は比較的裕福だったようです。
高校は野崎高校に進学。
野崎高校は大阪府大東市にある男女共学に府立高校。
現在の偏差値は37。
高校時代はパンチパーマに剃り込みを入れるなどヤンキーだったといいます。
ただ、不良だったというよりは当時の流行のファッションに倣っていただけだといいます。
『パンチパーマかけて暴走族のまねごとをして、でも定期テストの前にはちょこちょこっと勉強もしてしまう。』
引用 https://taishu.jp/
高校の時はバンドも結成し学園際にも出演。
木下ほうかさんはギター、ベース、キーボードを購入したものの、楽器ができずに結局ボーカルを担当していたそうです。
また、アイドルだった石野真子さんのファンで親衛隊でもあったそうです。
大学は大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科に進学。
高校時代はヤンキーでしたが、しっかり受験勉強もしていたそうです。
周りに大学に入った人はおらず、周りの不良は離れていき、大学に入学すると、パンチパーマだったのは木下ほうかさんともうひとりだけで、恥かしかったのですぐにパーマを落としたと話しています。
大学時代は空手部に所属。
大学卒業後は吉本興業大阪本社に入社ました。
木下ほうが俳優になったきっかけ
木下ほうかさんが俳優になったきっかけは高校時代に映画に出演したことでした。
高校時代には写真マニアだった父親の影響で、遊びで自主映画を撮ったこともあったそうで、
16歳の時、で映画『ガキ帝国』のオーディションに応募。
姉がオーディションの広告を見つけてすすめられたて応募したといいます。
当時のヤンキーファッションで面接を受け合格し、同映画で俳優デビューしました。
当時は好奇心で参加していて、演技をしているという意識はなかったと話しています。
大阪芸術大学に進学しますが、学生演劇ブームで周囲は猛者ばかりだったそうで、20歳頃に俳優の道を諦めかけたこともあったといます。
大学卒業後は吉本興業大阪本社に入社し、吉本新喜劇に入団。
しかし新喜劇では目立つ存在になれず、3年で退団しています。
退団後はデビュー映画『ガキ帝国』の井筒和幸監督を頼って25歳で上京しました。
木下ほうか ブレイクまで
25歳で俳優を目指し上京した木下ほうかさんでしたが、長く下積みが続きました。
上京して2年目の27歳の時には仕事がなさすぎて絶望的になり、俳優を辞めようと思ったといいます。
名刺を作り、とにかくいろんな盛り場にいき、配り歩いていたこともあったそういです。
Vシネマや深夜ドラマでチンピラの役などを演じ、ブレイクのきっかけとなったのは2014年7月から放送されてたフジテレビ系ドラマ『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』でした。
このドラマに出演したのは配布した名刺がきっかけだったといいます。
『昼顔』で木下ほうかさんは妻との結婚生活を打算的に捉える夫を演じ知名度を上げました。
その後、同年10月に放送開始したフジテレビ系のバラエティ番組『痛快TV スカッとジャパン』の『イヤミ課長』がブレイク。
『イヤミ課長』の決め台詞『はい論破!』は2015年の新語・流行語大賞の候補50語にノミネートされました。
木下ほうかさんは当時50歳でした。
木下ほうかは結婚歴はなく独身?
木下ほうかさんには結婚歴はなくずっと独身です。
結婚願望あるそうです。
『(出会いの場に)50になる手前に焦って、せっせと行ってた。』
結婚については、結婚したら絶対に離婚したくないとの理由で慎重だとも話しています。
木下ほうは格闘技をやっている?
木下ほうかさんは格闘技経験があり2021年8月に開催された『EXECUTIVE FIGHT~武士道~』に参加し、元光GENJIの大沢樹生さんと対戦し、判定勝ちしました。
木下ほうかさんは大学時代に空手部に所属し、黒帯も持っているそうです。
『生きがいが、去年から始めたキックボクシングです。』
引用 https://www.jprime.jp/
キックボクシングは2019年に俳優仲間と始め、毎週、区民会館でやっているそうです。