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近藤正臣の妻は?子供は娘?若い頃や高校などの学歴・経歴

近藤正臣さんは京都府出身の俳優。

経歴や高校などの学歴は?

若い頃の画像は?

結婚しているようですが妻は?

子供は娘?

今回は俳優の近藤正臣さんをリサーチしてみました。

近藤正臣の高校などの学歴・経歴

名前   近藤正臣
生年月日 1942年2月15日
出身   京都府京都市
身長   172cm
所属   シーズ・マネージメント

高校・洛東高校

大学・進学していません

父親は清水寺の境内にある「舌切茶屋」の3代目主人。

母親は祇園の元芸妓(げいこ)。

父方の叔父は人間国宝で染付けの大家・近藤悠三さん。

父親と母親は結婚していなかったそうです。

近藤の苗字は父方の姓で、父親が近藤正臣さんを認知し、本家の近藤姓を名乗っていたそうです。

父親は近藤正臣さんが2歳の時に父親は他界。

近藤正臣さんが物心がついた時には母親は木屋町三条で小料理屋を営んでいたそうです。

子供の頃の遊び場は京都の鴨川で、フナやオイカワ、ウナギなども捕ったことがあるそうです。

高校は洛東高校に進学。

洛東高校は京都府京都市にある男女共学の府立高校。

現在の偏差値は48。

高校時代は演劇部に所属。

女子部員に頭数が足らないと声をかけられて入部しましたが、高校演劇コンクールでは銀賞を受賞しています。

また、ボクシングも習っていたといいます。

高校卒業後は、母親の経営する小料理屋を継ぐため、大阪の高級料亭『吉兆』で修業をしますが、性に合わずにわずか3カ月で辞めました。

近藤正臣俳優デビューのきっかけ

近藤正臣さんは大阪の高級料亭を辞めた後、高校で字始めた芝居で身を立てようと、通っていた喫茶店にたむろする人たちに声をかけ、アングラ劇団『ドラマ工房』を立ち上げ活動しますが小さな劇場を借りる3000円が集まらないなど、なかなか上手くいきませんでした。

母親には勘当され友人の家を泊まり歩く日々を送っていたそうです。

そんな中で、映画のエキストラのアルバイトがあると聞いて、初めて撮影所の中に入ったそうです。

京都の松竹でエキストラをしていた20歳の時、その端正なマスクと演技力を見た助監督たちに『大船へ来ないか』と誘われて単身上京。

しかし、上京後も下積み生活は続き、エキストラばかりだったそうです。

当時は映画会社と契約を交わし出演していましたが、ランクがありランクはずっと最低ランクCのままでした。

1966年3月公開の映画『「エロ事師たち」より 人類学入門』で本格的に映画デビュー。

以前に知り合った芸能事務所代表が、キャストを見つけられずにいた今村昌平監督に相談を受け、近藤正臣さんを思い出し紹介したことで出演が決まったそうです。

近藤正臣 柔道一直線の足ピアノ

1966年3月に映画デビューした近藤正臣さんでしたが、その後も任侠映画や時代劇などで端役が続きました。

近藤正臣さんがブレイクしたのは1996年6月から放送されたTBS系のドラマ『柔道一直線』。

近藤正臣さんは主人公のライバル・結城真吾役で出演しました。

近藤正臣さんは当時、28歳でした。

54話で結城真吾役の近藤正臣がピアノの鍵盤の上に跳びあがって、足で『ねこふんじゃった』を演奏したシーンが有名で、後年の名珍場面集などでもよく取り上げられています。

『俳優でやっていけるようになったきっかけは、テレビドラマ「柔道一直線」です。』

足でピアノを弾くシーンが今も語られることは、ありがたいと話しています。

近藤正臣の若い頃

近藤正臣さんの若い頃の画像。

柔道一直線の時の近藤正臣さんで、当時は24歳でした。

1978年の大河ドラマ『黄金の日日』の石田三成役の画像で、36歳の頃です。

近藤正臣の妻は?子供は息子と娘?

近藤正臣さんが結婚したのは28歳よりも前のようです。

『(柔道一直線に出演した時)僕は結婚して娘もいましたから』

引用 https://www.google.com/

1970年のドラマ『柔道一直線』に28歳で出演した時はすでに娘がいました。

妻は幼馴染で1学年下の女性のようです。

娘は川口ひみこという名前で芸能界で活動し、1987年10月から1989年3月まで放送されていたフジテレビのバラエティ番組『七人のHOTめだま』では近藤正臣さんと共に番組の司会を務めていました。

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