剣道四段の俳優・甲本雅裕さん。
甲本雅裕さんの結婚歴や嫁は?子供は?
兄はミュージシャンの甲本ヒロトさんのようです。
高校や大学などの学歴や経歴は?
今回は俳優の甲本雅裕さんについてリサーチしてみました。
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甲本雅裕の嫁や子供
甲本雅裕さんは結婚して子供もいるようです。
結婚した正確な時期は不明ですが、俳優として知名度が出る前のようです。
甲本雅裕さんの子供は娘のようで、2011年ごろに出演したトーク番組、子供は小学6年生と話していたとの情報がありました。
その話から、甲本雅裕さんに子供が生まれたのは1999年ごろ、結婚したは1999年より前の可能性が高いです。
甲本雅裕さんは30代半ばまでアルバイトをしていたと話しており、1999年は33歳か34歳。
甲本雅裕さんが結婚したころはまだアルバイトをしていたか、やっとアルバイトなしで生活できるようになったころだと思われます。
甲本雅裕の兄は甲本ヒロト
甲本雅裕さんの3歳年上の兄は、ミュージシャンの甲本ヒロトさん。
甲本ヒロトさんは1963年3月17日生まれで、高校時代にバンド活動を始め、法政大学経済学部に進学。
いくつかのバンドを解散後、1985年に『THE BLUE HEARTS』を結成。
1987年にシングル『リンダリンダ』で、メジャーデビュー。
『リンダリンダ』は甲本ヒロトさんの作詩・差曲で同バンドを代表するナンバーでもあります。
1988年には『TRAIN-TRAIN』などのヒット曲をリリースしますが、1995年に『THE BLUE HEARTS』は解散。
『ザ・ハイロウズ』を経て、現在は『ザ・クロマニヨンズ』のボーカルとして活動しています。
甲本雅裕さんはラジオに出演した際に、兄の甲本ヒロトさんとは子供のころ、裏山でよく遊んだり、兄の友達と僕が仲良くなることもあったと話しています。
甲本雅裕さんは兄について、
『子供の頃は大人しかったですよ。じっとしているので、いるかいないのか分からないことがよくありました。』
とも話しステージとは違う一面があることも話しています。
甲本雅裕さんが上京後には同じ中華料理店でアルバイトをしていたこともあるそうです。
2004年に甲本雅裕さんが出演したポッカの『キレートレモン』のCMでは『ザ・ハイロウズ』がCMソングを担当し、初めての兄弟共演を果たしています。
甲本雅裕の剣道歴
甲本雅裕さんは剣道四段。
小学1年生から剣道を始め、大学4年まで続けました。
甲本雅裕さんが剣道を始めたきっかけは偶然だったといいます。
小学1年生のとき、野球がやりたいと思って、野球のパンフレットを親に渡したそうですが、そのパンフレットがなぜか手違いで剣道のものだったそうで、そのまま剣道を始めたと話しています。
甲本雅裕さんは1度始めると途中でやめることが嫌いな性格なんだそうです。
中学生のときは、県大会2位で全国大会に出場。
高校のときも、県大会2位で国体メンバーに選ばれています。
大学は剣道の推薦で入学し、団体戦で全国大会ベスト8まで進出しました。
大学時代は、剣道の実力で警察や実業団から就職の勧誘を受けたそうですが、大学では強烈な縦社会の団体生活で、道場と寮の往復だけで剣道漬けの毎日で、個人的な時間などはほとんどなかったことから、『剣道しかない』という状態に不安があり、大学を卒業するときはもう剣道が本当に嫌になったおり、就職も出来るだけ剣道から遠いアパレルの会社に就職したそうです。
『剣道がすべてという自分』
から脱却したかったとも話しています。
甲本雅裕の高校や大学などの学歴や経歴
甲本雅裕さんは1965年6月26日生まれ。
岡山県岡山市出身。
実家はクリーニング店『ドライ甲本』を経営していましたが現在は閉店。
3歳年上の兄はミュージシャンの甲本ヒロト。
中学は岡山市立東山中学校
甲本雅裕さんは小学校1年生のときから剣道を始め、中学時代も剣道部に所属しています。
高校は関西高校
関西高校は岡山県岡山市にある私立の男子校。
甲本雅裕さんは電気科で偏差値は38
高校も剣道部に所属し、国体に出場。
高校の同級生には俳優の梶原善さんがいました。
大学は京都産業大学経済学部に進学。
偏差値は48
大学でも剣道部に所属し団体戦で全国ベスト8入り。
大学卒業後は大阪のアパレルメーカーに就職。
服の組成について生地から全てを知りたいと生産管理を希望し配属されたそうです。
甲本雅裕さんは布地がずらりと並ぶ倉庫に勤務し、毎日貪欲に勉強し、毎日、前のめりになって仕事をしていたといいます。
しかし、アパレルメーカーに就職して1年ほど過ぎたころ、『これじゃない』と思うようになり、思いを押さえきれなくなった2年目に退職。
退職後、これといったやりたいことは見つけていないまま上京。
ただ、甲本雅裕さんは迷いはなかったといいます。
上京後の1989年、24歳とき、高校時代の友人の梶原善さんに誘われて劇団『東京サンシャインボーイズ』に参加し、1994年劇団が活動休止に入るまでほぼ全作品に出演したそうです。
30代半ばまではアルバイトバイトをしながら俳優を続け、電気を止められることもしょっちゅうだったと話しています。
1993年1月、フジテレビ系のドラマ『振り返れば奴がいる』の救急隊員役でドラマ初出演。
1995年12月、映画『南の島に雪が降る』で映画初出演。
劇団の活動休止後は、テレビドラマや映画に活動の拠点を移し、様々な役を演じるバイプレイヤーとして活躍。
2019年11月公開の映画『高津川』で映画初主演。
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