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小柳ルミ子の結婚歴や離婚理由は?再婚や高校などの学歴や経歴

福岡県出身の小柳ルミ子さん。

大澄賢也さんとの結婚歴ががありますが、離婚理由は?

子供は?

その後、再婚は?

現在の活動は?

今回は歌手の小柳ルミ子さんをリサーチしてみました。

小柳ルミ子の高校などの学歴・経歴

名前   小柳ルミ子
生年月日 1952年7月2日
出身   福岡県福岡市
身長   157cm
所属   プラチナムプロダクション

 

小柳ルミ子の学歴

小学校・西新小学校

中学校・筑紫女学園中学校

高校・宝塚音楽学校

大学・進学していません

父親は運送会社を経営していましたが、小柳ルミ子さんが3歳の時に他界。

その後、母親は再婚しています。

3歳の頃からクラシックバレエを始め、他にも歌、ジャズダンス、タップダンス、日本舞踊、ピアノ、三味線、習字と多くの習い事をしていました。

小柳ルミ子さんを歌手にするのが母親の夢だったそうです。

習い事の先生は母親がどの先生が良いか探してきましたが、

『嫌なら辞めれば?自分で決めなさい』

と強制はされず、

『こうしなさい、こうしちゃダメ』

とも言われなかったといいます。

小学校は福岡市立西新小学校。

中学校は筑紫女学園中学校に進学。

筑紫女学園中学は福岡県福岡市にある私立の女子校です。

中学卒業後は宝塚音楽学校を受験し合格。

倍率は40倍だったそうです。

宝塚音楽学校ではクラスの委員に任命されました。

宝塚音楽学校は19歳まで受験できるため、15歳の小柳ルミ子さんの同期のほとんどは年上だったそうです。

そのためクラスを引っ張っていくのは大変で、毎晩のように母親に電話をしていたといいます。

電話で小柳ルミ子さんは泣きながら『もう帰りたい』と言うと、母親は『あ、そう。嫌ならやめれば?』、『自分で決めなさい』と言って電話を切ったそうです。

小柳ルミ子さんは当時は母親を恨んだそうですが、後に『それが自分にとって良かった』と振り返っています。

宝塚音楽学校は首席で卒業し、1970年に『夏川るみ』の名前で宝塚歌劇団へ入団。

2ヶ月後に退団しました。

宝塚歌劇団で舞台を踏んだの1度だけだったといいます。

小柳ルミ子が歌手になったきっかけ

小柳ルミ子さんは宝塚音楽学校に1発で合格し首席で卒業。

1970年に宝塚歌劇団に入団しますが、初舞台を踏み2ヶ月で退団しました。

『明かせば、もともと宝塚に長くいるつもりはなかった。あくまでも最終目標は「歌って踊れる人」でした。』

引用 https://news.1242.com/

普通の高校で学問を学ぶより芸事を学びたい、そして芸能界に入りたいとの思いから宝塚音楽学校の選択でした。

宝塚音楽学校の2年目の17歳の時に単身上京して渡辺プロダクションの社長に『私を歌手にしてください!』と直談判したそうです。

すると社長は、

『君は宝塚か。じゃあ宝塚を一番で卒業してきたら考えてあげるよ』

と言ってくれたそうです。

当時の成績から首席になる自信があったそうで喜んで帰ったといいます。

宝塚歌劇団を退団した同年の1970年4月、NHK朝の連続テレビ小説『虹』で女優としてデビュー。

歌手デビュー前に知名度を広めるため女優デビューでした。

翌年の1971年4月、『わたしの城下町』を発売し歌手デビュー。

同曲は大ヒット。

160万枚を売り上げ、1971年の年間シングルチャートの第1位となり、翌年の1972年の年間シングルチャートに至っても第45位にランクされました。

1971年末の音楽賞レースでは『第2回日本歌謡大賞』の新人賞、『第13回日本レコード大賞』の最優秀新人賞など数々の新人賞を受賞。

大晦日には『第22回NHK紅白歌合戦』に初出場しました。

1972年に発売した4枚目のシングル『瀬戸の花嫁』もヒットし、天地真理さん、南沙織さんとともに1970年代前半を代表する女性歌手になりました。

NHK紅白歌合戦には1988年まで18年連続で出場しました。

小柳ルミ子の女優としての活動

小柳ルミ子は朝の連続テレビ小説『虹』で女優デビューして以降、女優としても活躍しています。

1982年公開の映画『誘拐報道』では

第6回日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞

を受賞。

翌年の1983年公開の主演映画『白蛇抄』では、

第7回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞

を受賞しています。

小柳ルミ子と大澄賢也の馴れ初めは?

小柳ルミ子さんが結婚したの1989年1月。

36歳の時でした。

夫の大澄賢也さんは13歳年下のダンサー。

結婚時は23歳でした。

馴れ初めは小柳ルミ子さんのディナーショー。

このディナーショーでの共演で大澄賢也さんがバックダンサーを務めたことで出会いました。

大澄賢也さんからの告白で交際がスタートし増した。

交際は1988年のクリスマスイブに始り、結婚は翌年の1月6日。

超スピード婚でした。

小柳ルミ子と大澄賢也の離婚理由は?

離婚したの2000年1月。

結婚生活は11年でした。

離婚時、小柳ルミ子さんは47歳。大澄賢也さんは34歳でした。

離婚原因は大澄賢也さんの浮気でした。

離婚時に小柳ルミ子さんは『慰謝料1億円か、無名のバックダンサーに戻るか』と究極の二択を迫ったり、大澄賢也さんは『慰謝料1億円』を選択したと報じられました。

しかし、後日に小柳ルミ子さんは『あれは大澄が言いだしたもの』と話し、大澄賢也さんは沈黙を貫いているそうです。

小柳ルミ子の子供は?

小柳ルミ子さんと大澄賢也さんに子供はいませんでした。

子供について一部の報道では、

『「子供が欲しい大澄と仕事に夢中の小柳のすれ違い」と報じられた。女性誌ベテラン記者が明かす。』

引用 https://www.asagei.com/

とされています。

小柳ルミ子の再婚は?

離婚後、小柳ルミ子さんは再婚していません。

しかし、再婚が予定と報じられたことはありました。

2007年7月に同居していた俳優の石橋正高さんとの婚約が報じられました。

石橋正高さんは27歳年下。

石橋正高さんは小柳ルミ子さんの婚約指輪をプレゼントし婚約したと報じられ、テレビのワイドショーでも取り上げられました。

しかし、小柳ルミ子さんは『私の再婚に関する記事は事実ではございません』と否定しています。

交際していたのは事実で、後の取材で交際を認め、石橋正高さんについて

『いつまでも甘えられて疲れちゃった。私からなんとなく連絡しなくなった。悪い女ですね』

とコメントしています。

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