長崎県出身の歌手・前川清さん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
歌手になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は歌手の前川清さんをリサーチしてみました。
前川清の学歴・生い立ち・経歴
名前 前川清
生年月日 1948年8月19日
出身 長崎県
身長 177cm
血液型 O型
所属 ワクイ音楽事務所・前川企画
小学校・佐世保市立山手小学校
中学校・佐世保市立花園中学校
高校・・長崎南山高校(中退)
大学・・大学には進学していません
長崎県佐世保市出身。
前川家は代々クリスチャン。
父親は大工で、造船所に勤務。
母親は看護師。
兄弟は兄が2人と姉がいる、4人兄弟の末っ子。
小学校は佐世保市立山手小学校、中学校は佐世保市立花園中学校を卒業。
小学3年生の時に変形性股関節症を患い治療。
病状が落ち着いた後、少年野球チームに所属。
アメリカ人少年チームとの交流試合にピッチャーとして出場しました。
中学時代は野球部に所属。
ポジションはピッチャーでエースでした。
高校は長崎南山高校に進学。
長崎南山高校は、長崎県長崎市上野町にある私立の男子校。
カトリック系の学校です。
現在の偏差値は48~61。
高校時代も野球部に所属。
高校は2年生の時に中退。
大学などには進学していません。
前川清が歌手になったきっかけは?
『ジャズ好きが高じて歌手への夢を抱くようになる。』
引用 https://www.hmv.co.jp/
前川清さんが育った佐世保市には米軍基地があり、幼い頃から海外のポピュラーソングに興味持ちましたが、日本の歌には興味がなかったそうです。
高校中退後、食べていくためにダスキンのセールスマンや溶接工など様々な仕事を経験。
そのひとつが、夜のkチャバレーで裏方の仕事で、いつしか店の要望で歌うようになっていったといいます。
その歌を聞いた、長崎で活躍していたクール・ファイブの小林正樹さんから声を掛けられ、1968年にクール・ファイブにメンバーとして加入。
20歳頃でした。
前川清 クール・ファイブでデビュー後
前川清さんは1968年に、『内山田洋とクール・ファイブ』にリードボーカルとして参加。
翌年の1969年2月5日、『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビューしました。
デビュー曲の『長崎は今日も雨だった』は週間オリコンチャート2位にランクイン。
同年末の第20回紅白歌合戦に初出場しました。
紅白歌合戦にははクールファイブ時代とソロでの出場合わせて29回。
1970年代半ば頃からは『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系)などのバラエティにもレギュラー出演し、大ボケキャラとして人気となりました。
1987年、クール・ファイブ脱退し、ソロ活動を本格的に開始しました。
前川清の結婚歴や妻は?
前川清さんの結婚歴は2回。
最初の結婚は1971年。
23歳の頃でした。
妻は歌手の藤圭子さん。
年齢は3歳年下で、結婚時は21歳。
藤圭子さんは1969年9月に『新宿の女』で歌手デビュー。
同曲はオリコン週間チャート9位になり、ファーストアルバム『新宿の女』は20週連続1位を記録し、結婚した時は人気絶頂でした。
離婚したのは翌年の1972年でした。
前川清の再婚した妻は?
前川清さんが再婚したのは、離婚から10年後の1982年。
34歳の頃でした。
妻はレコード会社の社員だった女性。
会社の飲み会で出会い、交際に発展したといいます。
前川清の子供は何人?
前川清さんの子供は人。
子供は娘2人と息子です。
長女、長男、次女の順に生まれています
長女は1984年、長男は1985年に誕生しました。
長男の紘毅さんは、エイベックスから2006年に歌手デビュー。
俳優としても活動しています。