茨城訛りの「おしゃべりマジック」でおなじみのマジシャン・マギー司郎さんの学歴や経歴は?
マジックを始めたきっかけは?
「おしゃべりマジック」は苦し紛れから生まれました。
結婚歴や妻は?子供は息子?
今回はマジシャンのマギー司郎さんをリサーチしてみました。
マギー司郎の学歴・生い立ち・経歴
名前 マギー司郎
生年月日 1946年3月17日
出身 茨城県真壁郡下館町(現在の筑西市)
身長 170cm
血液型 A型
所属 オフィス樹木
父親、母親、兄弟姉妹9人の11人家族。本名は野澤 司郎(のざわ しろう)。
戦後間も間もなく、9人きょうだいの7番目ちして生まれ、男では4番目なので、名前は司郎だといいます。
父親は事業家でしたが、新しい事業に手を出しては失敗を繰りかえし、母親が生活を支えまず貧しい生活でした。
家族の食事はいつも早いもの勝ちで、。納豆がどんぶりいっぱいあっても、油断すると5粒ほどしか残っていなかったそうですが、兄弟仲は良く、上が下をよく面倒見ていたそうです。
小学校下館町立養蚕小学校を卒業。
マギーさんは生まれつき目が悪かったことから、そのことに気がつかずに生活してていましたが小学校の先生に指摘で気づき、母親が米とメガネを交換してくれて初めてメガネをかけた時には、
『こんなに世界ははっきりと見えるんだ!』
と感動したといいます。
卒業した中学校は不明。
『勉強はできないし、手先は不器用。高校に行けずぶらぶらしていたんですが、東京なら何とかなるだろうと、家出しました。』
中学卒業後は高校に進学せずにいましたが、「このまま、ここで人生を終えるのはいやだ」と上京を決意し、17歳の時に布団一組だけもって上京しました。
マギー司郎がマジックを始めたきっかけは?
マギー司郎さんが初めて見たのは、地元の青果市場の1年に1度開催されるお祭りに来ていた、おじさんのマジックショー。
これのショーがきっかけで、マジックに興味を持ちました。
上京後は上野で見つけたキャバレーでのバーテンの仕事をしなら、昼間はカルチャースクールでマジックを習いました。
マジックの謎を解明するのが楽しくで、どんどんマジックにハマっていったそうです。
おしゃべりマジックは苦し紛れから
手品を習い始めて3年後にプロダクションに所属し、1966年、20歳の時に渋谷区の道頓堀劇場で初舞台を踏みました。
マギーさんの持ち時間は20分でしたが、持ちネタが少なかったことから、5分で舞台を降りると支配人に怒鳴られたといいます。
元々は音楽に合わせてトランプを操るようなマジシャンに憧れていましたが、元来起用じゃなかったマギーさんは思い描いていたようかカッコいいマジックは出来ませんでした。
ある時、ハンカチの色を変えるマジックをして、お客さんに「何色がいいですか?」といつも通り聞いたところ、用意していない「ピンク」と言われ、
『あ~すみません、ピンクは休みなんです』
と苦し紛れに言ったことがおしゃべりマジックの始りだったといいます。
出演していた劇場は1日に4回、土曜日には6回もステージがあり、どうしてもネタが足りなくなってしゃべりを入れて時間をもたせるようにmなり、コップにコーラを入れてハンカチをかけて、
『コーラがペプシコーラになりました!』
という定番ネタのこの頃に生まれました。
その後、友人のゆーとぴあ・ホープさんのアドバイスもあり、茨城訛りでお客さんいじりを中心した「おしゃべりマジック」を始め、売れるようになったといいます。
マギー司郎の結婚歴や妻
マギー司郎さんの結婚歴は2度です。
『2回結婚して2回とも離婚。その後は同居したり恋愛したり…』
結婚したのは2度とも20代で、2度とも20代で離婚しいて、その後は、再婚していません。
マギー司郎の子供は息子?
子供は3人以上いるようです。
『外国人の女性とも交際し、ハーフの子どもや30歳や27歳の娘、さらに把握できていない子どももいるかもしれない』
2017年の時点で30歳と27歳の娘と息子がいことは明かしています。
息子は離婚に交際したフランスの女性との子供です。
『息子はアメリカにいるんです。もう40歳くらいかな。何年も会ってないね。息子は、2回離婚したあと、フランスの女性と恋愛して生まれたんです。』
32歳の頃に生まれた息子で日本で育った後、パリ大学を卒業。その後は大使館に勤めていたそうです。