熊本県出身の元女子プロレスラー・マッハ文朱さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
スター誕生で山口百恵と決勝?
プロレスラーになったきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供はいる?
今回はのマッハ文朱さんをリサーチしてみました。
目次
マッハ文朱の学歴・生い立ち・経歴
名前 マッハ文朱
生年月日 1959年3月3日
出身 熊本県天草郡大矢野町(現在の上天草市)
身長 174cm
血液型 B型
小学校・葛飾区立原田小学校
中学校・葛飾区立金町中学校
高校・・東海大学付属望星高校
大学・・南カリフォルニア大学
出生名は渡辺文枝。
姉と妹がいる3人姉妹の真ん中で、姉は5歳年上。
父親は手紙でも記録でも全部毛筆で書く達筆で、キチッとしている人、母親はおおらかで明るい人でしたが、礼節を重んじるなど基本的なしつけはとても大切にする人でした。
幼少期から活発な子供で、木登りをしたり、入るなと言われていた柵を乗り越えてザリガニ釣りに行ったりしていたといいます。
熊本県で生まれましたが、小学生の時に東京いに引っ越し、小学校は葛飾区立原田小学校を卒業。
小学生の時も校庭でドッジボールををして、砂まみれにになって遊んでいるような子供、スポーツは万能で、運動会ではいつも活躍していました。
中学校は葛飾区立金町中学校を卒業。
15歳で日本女子プロレスに入門。
高校は明大中野付属高校に進学。
東京都中野区東中野にある私立の男子校でが、2003年に廃止された定時制は男女共学で、多くのタレントを輩出しました。
高校時代はプロレスの試合で忙しくなり、高校は2年で中退。
その後、高校は28歳の時に東海大学付属望星高校の2年に編入し卒業。
東海大学付属望星高校は、東京都渋谷区富ヶ谷にある男女共学の通信制高校。
高校卒業後は、アメリカ・カリフォルニア州にある私立大学のペパーダイン大学で健康心理学、南カリフォルニア大学でビジネスを専攻してました。
マッハ文朱がスター誕生で山口百恵と決勝?
マッハ文朱さんは、1972年、13歳の時に『スター誕生!』に出場。
当時、番組はすごい人気で、友達遊び半分のノリで出場しましたが、決戦大会まで進出。
250点が決勝進出のボーダーラインでしたが、最初、マッハ文朱さんは248点でした。
しかし、審査委員長の阿久悠さんが、番組プロデューサーに
『5番の渡辺さん(本名)をもう1回出させてあげてください』
と言ってくれたことで、2度目のオーディションで高得点を取って第5回決戦大会に進出。
同決戦大会では、後にトップアイドルとなる山口百恵さんがいました。
山口百恵さんも同じ13歳で、同い年は2人だけだったことから、メイクルームに行くのも、トイレにいくのも一緒に行動していたそうです。
決勝では山口百恵さんには多くのスカウトのプラカードが上がりましたが、マッハ文朱さんいはプラカードは上がりませんでした。
落ちて残念だ気持ちはありましたが、歌手になりたかったというほどではなかったといいます。
マッハ文朱がプロレスラーになったきっかけは?
高校進学の時期が近くなってきた頃に、ゴルフをやっていた叔父に、
『運動神経がいいから、プロゴルファーになったらどうだ』
と勧められ、ゴルフはやったことはあませんでしたが、プロゴルファーを目指して練習を始めたそうです。
しかし、その直後に姉がヘアサロンにあった週刊誌で、『女子プロレスラー募集』の広告を見つけ、姉に、
『文ちゃん、あなたプロレスやりなさいよ。時代を変えるかも』
と言われ、『時代を変えるかも』の言葉でプロレスを始めることにしたそうです。
マッハ文朱は元祖アイドルレレスラー
1974年、15歳で全日本女子プロレスに入門しリングデビュー。
リングネームのマッハ文朱は先輩レスラー命名だといます。
元祖アイドルレスラーとして人気となり、実力も本物で1975年3月、16歳の時には史上最年少でWWWA世界シングル王座を獲得。
スター誕生に決勝進出者だったことから、同月に『花を咲かそう』で歌手デビューし試合後にはリングで歌も披露していました。
試合会場で用意した500枚のレコードは毎回完売し、最終的に『花を咲かそう』は40万枚のヒットになり、紅白歌合戦出場の話しもありましたが、当時、マッハ文朱さんは年間250試合戦っていて、全日本女子プロレス側が『興行の方が大切』と断り、マッハ文朱さんはその話は後になって聞いたといいます。
同年には映画『華麗なる追跡』で女優デビューも果たしています。
マッハ文朱 タレントに転向して活躍
人気レスラーだったマッハ文朱さんでしたが、プロレスは2年8カ月で引退。
『父が早くに亡くなって、母は女手ひとつで育ててくれた。母孝行をしないといけないかな、というのが(プロレス)引退理由。安心してくれました』
母親孝行が引退の理由でした。
引退後はタレントに転向し、歌手、女優とて活動しながら、バラエティ番組でも活躍。
番組の司会も務めクイズ番組『チャレンジQ』では浜村淳さんと、演芸番組『激突!お笑いルーレット』では上岡龍太郎さんと司会を務めました。
マッハ文朱の結婚歴や夫は?
マッハ文朱さんが結婚したは1993年、33歳の時でした。
夫はニューヨーク育ちで台湾系アメリカ人・パイロットのロバート・チャンさん。
アメリカで大学に通っていた時に知人のホームパーティーで出会い、その時にプロポーズもされましたが、日本での仕事もあり断ったそうです。
しかし、夫がその後も待っていてくれたことで結婚。
結婚後は台湾で5年間生活した後、アメリカに移住しました。
マッハ文朱に子供はいる?
マッハ文朱さんの子供は娘が2人。
1994年2月に長女、1995年8月に次女が誕生しました。
共に台湾で出産しています。
長女は元宝塚歌劇団星組男役で、2021年7月に退団した桃堂純さん。
次女は2009年ジュニア・オレンジ・ボウルに優勝したテニスプレーヤーのユキ・クリスティーナ・チャンさんです。