大阪府出身の女優・萬田久子さん。
経歴や高校などの学歴は?
萬田久子さんの夫はどんな人なんでしょうか?
子供は息子がいるようですが何人?
今回は女優の萬田久子さんをリサーチしてみました。
萬田久子の高校、大学学歴・経歴
名前 萬田久子
生年月日 1958年4月13日
出身 大阪府大阪市
身長 167cm
小学校・泉尾東小学校
中学校・大正中央中学校
高校・港高校
大学・帝塚山短期大学
父親は運送業。
母親は洋裁の仕事。
萬田久子さんが子供の頃に着ていた服は、すべて母親んぼ手作りだったそうです。
萬田久子さんは幼少期にに健康優良児に選ばれ、小学生時代は成績優秀でオール5だったこともあったといいます。
小学校は大阪市立泉尾東小学校。
大阪市立大正中央中学校時代は体操部に入部。
しかし、半年で退部したそうです。
高校は港高校に進学。
港高校は大阪府大阪市にある男女共学の府立高校。
現在の偏差値は48。
同校はますだおかだの岡田圭右さんも卒業生です。
高校時代はテニス部に入部しますが、1ヶ月で辞めたそうです。
萬田久子さんは高校時代はの体重は67キロ。
あだ名は『マンブー』だったそうです。
高校時代に一念発起しダイエットを決意。
毎日縄跳びなどの運動と、キャベツしか食べない、キャベツダイエットを始め、1年で20キロものダイエットに成功しました。
大学は帝塚山短期大学に進学。
帝塚山大学短期大学部は奈良県奈良市にあった大学で2005年7月に廃止になっています。
萬田久子はミス・ユニバース日本代表
萬田久子さんは帝塚山大学短期大学在学中の19歳のとき、ミス・ユニバースの日本代表に選ばれています。
応募したのは萬田久子さんではなく、ミス・ユニバース大会に思い入れが深いという叔母。
写真がなかったため、叔母は萬田久子さんの学生証の写真で応募したといいます。
叔母は『どうせ通らへん』と言っていたそうですが、結果は日本代表。
叔母は立ち上がれないほど驚いていたと話しています。
ミス・ユニバース世界大会はメキシコ・アカプルコで開催され、萬田久子sなんは短大を一ヶ月休んで参加。
アカプルコでは連日連夜、富豪のパーティの招かれたりしていたそうです。
世界大会の審査員には当時30代だったデヴィ夫人もいたといいます。
ミス・ユニバース世界大会の結果は入賞はできませんでした。
大学を1ヶ月休んだため、試験の時期とも重なり単位が危うくなったそうですが、学園町の計らいで世界大会の様子を授業で話すことで単位をもらうことができたそうです。
萬田久子 女優デビュー
萬田久子さんは世界大会後、就職先が決まっていたそうですが、芸能事務所に女優としてスカウトされ、地元大阪から上京。
当初は仕事はなく、銀座を歩いているとよくホステスにスカウトされたそうです。
当時の萬田久子さんは化粧が濃く、パーマをかけ、真っ赤なマニュキュアをしていたそうで、その時の女性マネージャーにそれらをやめたほうがいいとアドバイスされ、素直に従うとオーディションに合格。
1980年4月から放送されたNHK朝の連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』の主演の夏子の親友の武部京子役で女優デビュー。
萬田久子さんが22歳のときでした。
その後はテレビ、映画だけでなく、CM、ファッション誌などでも活躍しました。
萬田久子の夫は?
萬田久子さんの夫は佐々木力さん。
結婚はしておらず、事実婚の夫でした。
佐々木力さんは、アパレルブランド『リンク・セオリー・ジャパン』創始者で代表取締役社長兼CEO。
ファーストリテイリンググループ上席執行役員を歴任したことでも知られる方です。
年齢は萬田久子さんの7歳年上。
出会ったのは1984年の萬田久子さんが26歳のころ。
佐々木力さんの会社のファッションショーにモデルとして出演したことがきっかけだったそうです。
当時、佐々木力さんは結婚していて、3児の父親でもありました。
萬田久子さんと佐々木力さんは熱愛関係になり、翌年の1985年には熱疑惑が報じられていたようです。
佐々木力さんが1994年に離婚した後は一緒に生活していましたが籍は入れず、20年以上事実婚を貫きました。
事実婚だったのは、一部の報道では、
『元妻の条件は「離婚後は誰とも再婚しないこと」だったため、萬田との再婚は成らず、ここからは事実婚となった。』
引用 https://www.iza.ne.jp/
とも報じられています。
2011年8月に佐々木力さんはスキルス性胃がんのため60歳で死去。
葬儀の喪主は萬田久子さんが務めました。
萬田久子の子供は何人?
萬田久子さんの子供は息子が1人。
1987年10月に生まれました。
萬田久子さんが29歳のときの子供です。
当時、佐々木力さんは離婚しておらず、不倫関係でした。
萬田久子さんは臨月にニューヨークに飛び、ニューヨークで出産。
翌年の1988年1月に帰国し、『不倫k』『未婚の母』と連日報じられ、萬田久子さんへの風当たりは強かったといいます。
息子はプロゴルファーを目指していましたが、断念したそうです。
息子は大学卒業したばかりの23歳のときに、交際していた8歳年上の女性の妊娠が発覚。
しかし、萬田久子さんは結婚には猛反対したそうです。
一部の報道では、
『結婚を認めないばかりでなく、お相手に対して「財産狙いでは」というようなことまで言ってしまったそうです。結局、息子さんは結婚を強行。以来、息子さん夫婦との関係に決定的な溝ができてしまった。』
引用 https://www.news-postseven.com/
息子は結婚し、新婚生活のマンションも奥さんが購入。
2011年3月に息子夫婦に娘が誕生しましたが、関係はらず、2015年に息子夫婦がある雑誌の直撃取材を受けたときには、母親の萬田久子さんを『あの人』と呼び、『話すことはない』と発言したそうです。
絶縁状態は5年以上続いたそうですが、萬田久子さんから歩みより連絡を取って和解したそうです。