ブラジル出身の歌手・マルシアさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫との離婚理由は?
子供は何人?
今回は歌手のマルシアさんをリサーチしてみました。
目次
マルシアの学歴・生い立ち・経歴
名前 マルシア
生年月日 1969年2月14日
出身 ブラジル・サンパウロ州
身長 156cm
血液型 A型
所属 ワタナベエンターテインメント
高校・・ブラジルの高校
大学・・大学には進学していません
ブラジル・サンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス出身で、祖父が静岡県富士市出身からブラジルに移住した日系三世。
本名は西家一枝マルシア(おおつる かずえ マルシア)で、『一枝』の名前は母親が美空ひばりさんの大ファンで美空ひばりさんの本名の『和枝』から名付けられたといいます。
実家は果樹園を経営していましたが、父親が結婚前に事業に一度失敗し、祖父が果樹園を売ってつくった資金の援助で肉屋を経営し始めて成功しました。
日系人の多い街で育ち、家での家族との会話はポルトガル語と日本語が混じっていましたが、日本語の多くはわからなかったようです。
高校はブラジルの高校出身で、17歳の時に来日し卒業したかは不明でした。
マルシアが歌手デビューしたきっかけは?
マルシアさんのデビューのきっかけはブラジルの歌謡大会でした。
1985年、16歳の時にブラジルで開催されたTBSテレビ主催の『TBS歌謡選手権』に出場し準優勝。
翌年の1986年には同じくブラジルで開催されたテレビ東京の『外国人歌謡大賞』で優勝し、ブラジル代表となり決勝大会に出場するために初来日しました。
この時に審査員を務めていた作曲家の猪俣公章さんの目に留まり、ブラジルまで足を運んだ猪俣公章さんにスカウトされたことがきっかけで、デビューしました。
マルシア 来日後
マルシアさんは17歳の時に祖父と共に来日し、猪俣公章さんの内弟子となりました。
先輩の内弟子には坂本冬美さんがいて、ブラジル出身のマルシアさんと和歌山県出身の坂本冬美さんは、お互い東京でできた初めての友達だったそうです。
マルシアさんは当時、日本語がほとんどわからず、時代劇の水戸黄門を見て日本語を覚えたといいます。
1989年1月、19歳の時にシングル『ふりむけばヨコハマ』で歌手デビュー。
同期デビューの歌手には中山忍さん、島崎和歌子さん、香田晋さんがいました。
同年末の第31回日本レコード大賞では、最優秀新人賞を受賞し、翌年の1990年には第41回NHK紅白歌合戦に出場。
その後は、女優やはっきりとものを言うキャラクターで、バラエティー番組などでも活躍しました。
マルシアの結婚歴や夫は?
マルシアさんが結婚したのは1994年12月、25歳の時でした。
夫は俳優の大鶴義丹さん。
1968年4月24日生まれで、年齢は1歳年上。
大鶴義丹さんの父親は、劇作家で芥川賞作家の唐十郎さん、母親は女優の李麗仙さん。
高校時代からテレビドラマなどに出演し、日本大学在学中に映画『首都高速トライアル』で本格的に俳優デビューしました。
マルシアと夫の馴れ初めは?
マルシアさんと大鶴義丹さんの馴れ初めは、テレビドラマでの共演。
1993年10月から放送されたTBS系の大鶴義丹さんの主演ドラマ『オレたちのオーレ!』で、大鶴義丹さんはブラジルのプロサッカー選手の府川 役、マルシアさんは日系ブラジル人でブラジルで府川と知り合い、彼の後を追って日本へ渡り結婚を迫るモニカ・ガルシアス 役を演じました。
作曲が趣味のマルシアさんが、作詞を作家でもあった大鶴義丹さんに依頼してしているうちに交際に発展し、1年半の交際期間を経て結婚しました。
マルシアと夫の離婚理由は?
マルシアさんと大鶴義丹さんの離婚原因は、大鶴義丹さんの浮気でした。
2003年10月に前日から留守にしていたマルシアさんが帰宅したところ、自宅の書斎兼寝室の3階から降りてきた見知らぬ女性とバッタリ会ったそうです。
その後、3階にいた大鶴義丹さんは降りてきて土下座しましたが、激怒したマルシアさんは子供を連れて家を出て、2004年9月に離婚しました。
大鶴義丹さんは2012年に高校の同級生と再婚していますが、マルシアさんは2023年6月にテレビ番組で再婚願望につい問われ、
『ありえない、嫌だ、怖い…。1回で十分。1人がすごく幸せで』
と話しました。
マルシアの子供は何人?
マルシアさんの子供は娘が1人。
1997年10月に長女の弥安(びあん)さんが誕生しています。
名前の弥安は、ポルトガル語の『白』の意味の『ビアンカ』から名付けたそうです。
出産時、マルシアさんは28歳で、離婚後の親権はマルシアさんが持ちました。
娘と大鶴義丹さんも交流があり、テレビ番組で共演したこともありました。
弥安さんは2022年4月に競走馬調教助手の男性と結婚しています。