漫才コンビ「ますだおかだ」ツッコミで、2002年にM-1グランプリで優勝経験がある増田英彦さんの大学などの学歴や経歴は?
お笑い芸人になったきっかけは?
競艇の学校に合格した経験があるようです。
結婚歴や妻、子供は?
今回は漫才コンビ・ますだおかだの増田英彦さんをリサーチしてみました。
増田英彦の学歴・経歴
名前 増田英彦
生年月日 1970年2月9日
出身 大阪府守口市
身長 160cm
血液型 O型
所属 松竹芸能
父親は淡路島生まれで、事業の手を出しては失敗していました。
実家は10歳頃には八百屋を経営し、その後、喫茶店、母親のスナックになったといいます。
兄弟は兄がいて寿司屋を経営していました。
父親は事業に失敗して家でボーッとしていることがよくあったといいます。
小学校は守口市立梶小学校、中学校は守口市立梶中学校を卒業。
中学校のクラスメイトには落語家の桂三度(世界のナベアツ)さんがいました。
中学2年生の文化祭では、増田さんの原作・脚本で1人のボクサーが敏腕トレーナーにスカウトされてチャンピオンになるまでを描いた映画をクラスで制作し、準主役の敏腕トレーナー役は桂三度さんでした。
高校は大阪電気通信大学高校に進学。
大阪府守口市橋波西之町にある男女共学の私立高校で、偏差値は41。
高校時代はプロレスラーに憧れ、柔道部に入部しましたが、身体が小さいこともありプロレスラーをになる勇気はなかったといいます。
プロレスラーは諦め、プロレスのリングアナウンサーになろうと思い、アントニオ猪木さんに、
『新日本プロレスのリングアナウンサーにして下さい』
と返信用の封筒に切手を貼り送ると、
『現在、当社は大卒しか採用してませんし、入社してもリングアナになれるかどうかは、人事の問題なので約束できません。それでも良ければ、大学卒業したらご連絡下さい』
と返信がありましたが諦めきれずに東京に行き、新日本プロレスに押しかけましたが、門前払いされたそうです。
高校卒業後は、関西外国語大学短期大学部・米英語学科に進学。
大阪府枚方市中宮東之町に私立の短大で、英米語学科の偏差値は47。
同級生には相方になる岡田圭右さんがいました。
短大では演劇部に入りましたが、演劇はせずにお笑いライブを開催。
増田さんも友達とコンビを組んで出場し、岡田さんも別なコンビで参加していました。
短大卒業後は、関西外国語大学 外国語学部英米語学科の3年次に編入。
大学4年生の時には学園祭の実行委員を務めました。
大学卒業後、大阪に本社がある広告代理店の「大広」に入社。、
同期には後に俳優のなる佐々木蔵之介さんがいました。
増田英彦がお笑い芸人になったきっかけ
増田英彦さんは物心ついた頃から漫才が大好きで、小学校の卒業文集には、
『面白い漫才師になりたい』
と書いていました。
中学2年生の時に『ABC漫才・落語新人コンクール』(現・ABCお笑い新人グランプリ)で優勝したダウンタウンを見て、漫才師になろうと思ったといいます。
『あの頃、漫才はもう古臭いみたいな空気があった。でも、ダウンタウンさんを観て、漫才って、やっぱりカッコいいやん、って。そのとき、この賞、いつか絶対獲ったるって思ったんですよ』
短大で2年生の時に、岡田さんを吉本興業の養成所「NSC」に誘いましたが断わられましが、その後も3年間誘い続けました。
岡田さんは短大卒業後は、大阪外語専門学校に入学。
関西大学4年生の時、学園祭の実行委員を務めイベントの司会を務めていると、松竹芸能にスカウト。
再び岡田さんを誘い、なんとか2人で松竹芸能タレント養成所に通うことになりましたが、3ヶ月で岡田さんは退所。
大学卒業後、増田さんは「大広」に就職し、岡田さんは専門学校卒業後、文具メーカー「クツワ」に就職したが、就職後も誘い続けて2人で吉本新喜劇座員のオーディションに合格し、レッスンを受け始めましたが、岡田さんは2週間で辞めてしまいました。
4ヵ月後に短大時代の同級生の結婚式で再会し、
『仕事がおもしろくない』
ともらした、またもや岡田さんを誘って、正式に松竹芸能タレント養成所に入所。
お互いの会社を退職して1993年1月に、24歳で漫才コンビ『ますだおかだ』を結成しました。
増田英彦は競艇学校に合格
増田英彦さんが競艇の学校に合格したのは大学3年生の時でした。
短大2年生の時に岡田さんを漫才に誘って断られ、同時期に当時交際していた女性にもフラれたといいます。
そのショックから、ヒッチハイクで日本1周のた旅に出かけ、100台ぐらいの車に乗り継ぎ、2週間後に帰ってきましたが、気持ちは晴れませんでした。
そんな時に、たまたまテレビで流れた「ボートレーサー募集中」のCMを見て興味を持ち、競艇選手について調べてみると、競艇選手の平均は1600万円で最低でも500万円だと知り、受けてみようと決意。
競艇選手には体重制限があったため、試験までの2ヶ月は「昼はりんご。夜は寒天」という生活5kg減量し、1次試験に合格。
2次試験の集団生活での4日間の適正試験も合格。その年は大阪では300人が受けて、合格者は3人だったといいます。
競艇学校に入るためには、大学は退学か休学をしなければならず、悩んだ末に入学は辞退しました。
ますだおかだを結成してM-1優勝
1993年1月に『ますだおかだ』を結成後、翌年の1994年1月には、第15回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞、同年2月には第24回NHK上方漫才コンテスト最優秀新人賞も受賞。
同年8月にはテレビ朝日の『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』で10週勝ち抜き、第3代チャンピオンの座に輝き、グランドチャンピオン大会では爆笑問題と同点優勝し、一躍注目されました。
2001年に初開催された第1回M-1グランプリに出場し決勝に進出。
翌年の「M-1グランプリ2002」で優勝を果たしました。
2009年以降は単独で情報番組の司会などを担当するようになりました。
増田英彦の結婚した妻や子供
増田英彦さんが1997年10月、27歳の時に結婚。
妻は大学の後輩の女性。
芸人デビューして4年目の結婚し、所属事務所の松竹芸能には、
『芸人として一人前になるまでは結婚するな』
と言われていたことから、会社にはもちろん相方の岡田さんにも結婚は伝えず、2002年のM-1優勝後に結婚を発表しました。
子供は娘が2人です。
2004年3月に長女、2007年12月に次女が誕生しました。