東京都出身のシンガーソングライター・松任谷由実さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
歌手になったきっかけは?
結婚や夫は?
子供はいる?
今回はシンガーソングライターの松任谷由実さんについてリサーチしてみました。
松任谷由実の学歴・生い立ち・経歴
名前 松任谷由実
生年月日 1954年1月19日
出身 東京都
身長 164cm
血液型 O型
所属 雲母社
小学校・八王子市立第一小学校
中学校・立教女学院中学校
高校・・立教女学院高校
大学・・多摩美術大学美術学部絵画学科
東京都八王子市出身。
実家は八王子にある老舗の呉服屋『荒井呉服店』。
松任谷由実さんが子供の頃には従業員が80人いたといいます。
兄が2人、姉、弟がいる5人兄弟。
子供の頃の習い事は、6歳からピアノ、11歳から三味線。
三味線は、長時間の正座で足がしびれるため2年で挫折したそうです。
小学校は八王子市立第一小学校を卒業。
小学校時代は代表委員会の議長を務め、成績表はオール5と優秀でした。
中学校は立教女学院中学校、高校は立教女学院高校を卒業。
立教女学院中学校・高校は東京都杉並区久我山にあるキリスト教系の私立の女子校。
立教女学院中学校の現在の偏差値は69。
完全中高一貫教育のため、高校の生徒募集はありませんが、早稲田大学や慶応大学なのどの難関大学にも多くの合格者を出す進学校です。
小学生の時はオール5の成績でした、中学では上位ではあったもののさほどでもなくなったそうです。
学校では聖歌隊に所属。
絵が得意だったことから中学3年生からは、御茶の水美術学院にも通い、絵画を勉強しました。
中学、高校時代には学校が終わると、六本木のディスコにも通い、朝まで踊っていたといいます。
大学は多摩美術大学美術学部絵画学科に進学し、日本画を専攻しました。
松任谷由実がシンガーソングライターになったきっかけは?
松任谷由実さんが、初めて作曲したのは14歳の時。
中学時代に夜遊びをしてディスコに通っていた時に、かまやつひろしさん、細野晴臣さんなど大勢のミュージシャンに出会い影響を受けたことがきっかけでした。
タイガースのメンバーだった加橋かつみさんが仲間から『愛は突然に』という曲を紹介され、この曲を気に入り、自身のシングル曲としてリリース。
この曲が松任谷由実さんが14歳の時に作曲した曲で、松任谷由実さんは15歳で作曲家デビューしています。
松任谷由実 デビュー後
松任谷由実さんは1972年に18歳で多摩美術大学すると同時に、本格的に音楽活動にも開始。
当初は作曲家を志望していましたが、アルファレコードを設立した村井邦彦さんの勧めで、1972年7月にシングル『返事はいらない』をリリースし、荒井由実として歌手デビュー。
しかし、同シングルは百枚しか売れませんでした。
翌年の1973年11月にファーストアルバム『 ひこうき雲』リリースすると、TBSラジオの深夜放送番組『パックインミュージック』のパーソナリティの林美雄さんの支持を受けて知名度が上昇し、週間チャート9位にランクイン。
1975年10月にリリースしたシングル『あの日にかえりたい』がTBSドラマ『家庭の秘密』の主題歌となり、自身初のオリコンチャート1位を獲得。
結婚後は松任谷由実として活動。
1981年6月のシングル『守ってあげたい』が1981年のシングル年間ランキング第10位を獲得するヒット。
同年11月リリースしたアルバム『昨晩お会いしましょう』以降のオリジナルアルバムは17枚連続でオリコン1位を獲得。
1990年11月発売の『天国のドア』では史上初のアルバム200万枚出荷を記録。
以降、オリジナルアルバム8作連続のミリオンセラーを獲得しました。
松任谷由実の結婚や夫は?
松任谷由実さんが結婚したのは1976年。
22歳の時に結婚でした。
夫は音楽プロデューサー、作曲家、編曲家の松任谷正隆さん、
年齢は3歳年上。
松任谷由実さんと松任谷正隆さんの出会いは、1973年10月に発売された、松任谷由実さんのファーストアルバム『ひこうき雲』のレコーディング。
松任谷正隆さんはキーボードとして、レコーディングに参加していました。
音楽的なことでは口論もありましたが、松任谷由実さんは同時に、
『ミュージシャンくさくなくて、考え方も真面目。しっかりしている人だなあ』
とも感じていたそうです。
挙式は1976年11月に横浜の山手教会で行われました。
松任谷由実に子供はいる?
松任谷由実さんに子供はいません。
松任谷由実んさんは過去に、
『女性アーティストって子供生んじゃうと、子供が最高傑作になってしまうのよね』
と発言したことがあるといわれており、子供は望まなかったといわれているようです。