広島県出身の女優・真矢ミキさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
結婚や夫は?
子供はいる?
今回は女優の真矢ミキさんについてリサーチしてみました。
目次
真矢ミキの学歴・生い立ち・経歴
名前 真矢ミキ
生年月日 1964年1月31日
出身 広島県
身長 166cm
所属 オスカープロモーション
中学校・・豊中市立第二中学校
高校・・・進学していません
大学・・・進学していません
各種学校・宝塚音楽学校
広島県広島市出身。
出生名は佐藤美季。
父親は航空会社に勤務。
転勤族で幼稚園から小学校にかけて、広島県、福岡県、神奈川県、大阪府と何度も転校。
父親は昭和の企業戦士で、仕事が人生の100%を超えているような人だったといいます。
兄弟は3歳年上の兄で面倒見がよくて、よく遊んでくれたそうです。
引越しと転校が多かったこともあり、子供の頃は内向的で、人見知りの性格だったといいます。
子供の頃の習い事はそろばん、学習塾など。
小学校6年生から4年間は大阪府豊中市で過ごし、中学校は豊中市立第二中学校を卒業。
中学卒業後は高校には進学せずに、宝塚音楽学校に入学しました。
高校には入っていませんが54歳の時に、高等学校卒業程度認定試験を受け合格し、高校卒業の資格を取得しています。
真矢ミキが女優になったきっかけは?
髪の毛をきれいにお団子に結い上げ、それをさりげなくリボンで結び、ひときわ、目を引いたんです。家に帰って早速、母にその話をしたところ、「どこの学校か、知りたい?」とニヤリ。今思えば、あれは母なりの作戦だったと思います。
引用 https://www.sankei.com/
中学の時に阪急宝塚線でかわいい制服を見かけ、母親に聞くとその制服は『宝塚コドモアテネ』でした。
『宝塚コドモアテネ』は宝塚音楽学校付属で毎週日曜日、小学4年から中学生までの女子を対象に、声楽やバレエ、日本舞踊が勉強できる学校で、9割が宝塚音楽学校を目指す子供たちが通う学校でした。
母親が『宝塚コドモアテネ』について調べてくれて、初めて宝塚の舞台を観劇。
男役の厚化粧には、違和感を覚えるなど、すっかり宝塚ファンになったわけではありませんでしたが、娘役の写真を買って帰り、きれいなお姉さんに憧れる気持ちがあり、中学1年生から宝塚コドモアテネ入学。
母親は元演劇部で『娘を宝塚に入れたい』と話していたと後に聞いたそうです。
宝塚コドモアテネの入学は試験がなく、先着順だったそうです。
真矢ミキ 宝塚音楽学校に合格
『佐藤さん(真矢さんの本名)、受けるのかな』
『まさか。何もできないから絶対、受からないよ』
宝塚音楽学校の受験まで残り半年ぐらいの頃、コドモアテネの更衣室で、真矢ミキさんにきづかずに話す同級生の会話も聞きました。
子供なりに傷つきましたが、真矢ミキさんが中学3年生の時に、宝塚音楽学校の受験を考えなかったのはまさに『何もできないから』で同級生たちの指摘は図星だったといいます。
しかし、同級生の言葉を聞き闘志が湧き、宝塚音楽学校の受験を決意。
半年間、塾、声楽など個人レッスンを受け高校にも無事合格。
『落ちてもともと』の気持ちで宝塚音楽学校の受験に挑めたそうです。
結果は一発合格でした。
合格発表は見るのが怖くて、門の前で深呼吸していると、同級生のお母さんに『受かってたよ~』とあっさり告げられたそうです。
1979年に宝塚音楽学校に入学しました。
真矢ミキ 宝塚時代
1981年、67期生として宝塚歌劇団に入団。
入団時の成績は21番。
同期には黒木瞳さんがいました。
初舞台当初から注目を集め、1992年から1995年にかけては2番手ながらトップである安寿ミラさんとほぼ同等な扱いを受け、芝居・ショーともに活躍。
1995年、安寿ミラさんの退団により『エデンの東』で花組トップスターに就任。
長髪のヘアスタイルやナチュラルな舞台メイク、独特の着こなしで当初は『異端児』扱いでしたあが、認められると『ヅカの革命児』とまで言われました。
1998年10月に宝塚歌劇団を退団。
当時34歳でした。
真矢ミキ 戦力外通告
真矢ミキさんは宝塚歌劇団を退団後、鳴り物入りで芸能界入り。
宝塚時代は歌や踊りより、芝居は成績が上位でしたが、映像の世界では全く通用しなかったそうです。
目力など今まで武器していたスキルがむしろ邪魔になったといいます。
舞台の演技がなかなか抜けず、ドラマ、映画から声が掛からなくなり、ドキュメンタリーの仕事が回ってくるようになったそうです。
38歳の時、ついに当時の所属事務所から『戦力外通告』を受けました。
真矢ミキ 踊る大捜査線でブレイク
所属事務所をクビになり、無収入となった真矢ミキさん。
車を売って、マンションを引越し生活水準を落とし、歩ける距離は歩きました。
芸能事務所が一覧できる分厚い本を買い熟読。
自分に合いそうな条件の会社を最終的に2、3社に絞り直接電話をして、面接を受け事務所に所属。
所属事務所から『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の勧められ即決。
友人からリクルートスーツを借り、オーディションを受け合格。
上から目線の女性キャリア・沖田管理官を演じ、青島に『事件は会議室で起きている』と言い放ち、映画の大ヒットも相まって真矢ミキさんは強烈な印象を残しブレイクしました。
当時39歳でした。
真矢ミキの結婚や夫、子供は?
真矢ミキさんが結婚したのは2008年12月。
44歳の時でした。
夫はバレエダンサーの西島数博さん。
年齢は7歳年下。
馴れ初めは舞台での共演。
10年くらい友人関係で真矢ミキさんは西島数博さんを1度も男性として意識したことはなかったそうです。
ある時、西島数博さんから付き合おうと言われ交際がスタート。
真矢ミキさんは交際を申し込まれた際、
『友達として一瞬、裏切りを感じた』
と話しています。
5年の交際期間を経ての結婚でした。
真矢ミキさんに子供はいないようです。