元女優で、参議院議員の三原じゅん子さん。
学歴や生い立ちは?
芸能界デビューしたきっかけや、政治家になったきっかけは?
この記事では三原じゅん子さんリサーチしています。
三原じゅん子の学歴・生い立ち
東京都板橋区出身。3歳年上の兄がいる2人きょうだい。
父親は印刷会社を経営していましたが倒産。
父親は働く意欲をなくし酒浸りになり、母親が夜の仕事をして家計を支えました。
子供の頃は感情を表に出さない子供で、たまに笑うと話題になるほどだったといいます。
小学校は板橋区にある私立の淑徳小学校に入学。
小学校在学中に父親の印刷会社が倒産すると生活は貧しくなり、食事はジャガイモやさつまいもを小麦粉だけで揚げた天ぷらが多く、弁当もその天ぷらばかりだったといいます。
中学校は豊島区にある私立の十文字中学校に入学し、バレーボール部に所属。
中学時代には芸能活動をしており、学校が芸能活動を認めていなかったことから、公立の板橋区立第一中学校に転校して卒業。
高校は明治大学付属中野高校・定時制に入学しましたが、仕事がと学業の両立が難しくなり、ほとんど通わないまま中退しています。
三原じゅん子がデビューしたきっかけ
三原じゅん子さんが芸能界入りしたのは、7歳の時に東京宝映テレビ・劇団フジに入団したことがきっかけでした。
劇団の定期公演で活躍した後、1979年1月、中学在学中に『燃えろアタック』(テレビ朝日)で本格的にテレビデビュー。
1979年10月から放送された『3年B組金八先生』(TBS)で不良(ツッパリ)生徒の山田麗子 役を演じブレイク。
ドラマでの「顔はヤバイよ。ボディやんな、ボディを」セリフは有名になりました。
1980年9月21日には『セクシー・ナイト』で歌手デビュー。
オリコン8位にランクインし、1982年には紅白歌合戦に出場。
女優として活躍しながら、国際B級ライセンスを取得して1987年から1999年まではレーシングドライバーとしても活動しました。
三原じゅん子が政治家になったきっかけ
三原じゅんこさんが政治家を目指したのは、自身が子宮がんを患ったことと、介護施設を経営したことがきっかけだったといいます。
2008年にヒトパピローマウイルス (HPV) が主な原因の子宮頸癌を患い子宮を摘出したことで、日本のがん対策が遅れていることに気づいたそうです。
介護施設の経営に乗り出すと、職員に賃金が少ないことを知り、この2つのことを「なんとかできないか」という思いから、声をかけられたわけではなく自ら自民との門を叩いて政治家を目指しました。
2010年7月の第22回参議院議員通常選挙に自由民主党から比例区で出馬し当選。
女優を引退することを表明しました。
2016年07月の第24回参議院議員選挙では神奈川県選挙区で出馬し、100万を超える票を集めトップ当選。
2017年10月、参議院消費者問題に関する特別委員長に就任。
2020年9月、厚生労働副大臣(主に労働、子育て、年金分野)に就任。
2024年10月に発足した石破内閣では、内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、共生・共助)、女性活躍担当大臣、共生社会担当大臣として初入閣しました。